FC2ブログ
消費者金融と銀行
03« 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.»05

【 最新記事と感動映像 】


  ●●● 皆さまにお知らせ ●●●

いつもいつもご訪問ありがとうございます!
更新再開模索しております!お待ちくださいね。
どうかこれからもよろしくお願い致します(^^)
皆さまには感謝。感謝です。


  ●●● 最新記事 ●●●

【 全記事一覧 】

  ●●● ~忘れられない名言~ 感動映像 ●●●

あなたさえも知らない、本当の自分と未来に出会うために、
時に雨に打たれながら、時に星空を見上げながら、歩いていこう・・・
そんなあなたを見て、必ずその後について来る人がいるから。
その後に、誰も知らなかった新しい道ができているから。



■ これまでの「名言感動映像」はこちらです。
■ 管理人の仙台での「東日本大震災」の体験記はこちらです。
■ ブログ『はっぱの笑子らいふ(はっぱのえこらいふ)』さんの
  震災や今後の未来に対する取り組みです。クリック!↓ 心ひとつに キャンドルナイト

今度は僕たちが恩返しをする番 


let0029-004_convert_20110413130136.jpg



「 東北の皆さんと一緒に戦っている気持ちが
               打球に乗ったんだ 」


          東北楽天ゴールデンイーグルス 嶋基宏捕手 




東日本大震災直後、
現地では不安と絶望が多くの人々を包み込んでいました。

食べ物がない。
明かりもない。
暖房もない。

情報も少なく、家族が今生きているのかすらわからない。
会いに行きたくても、交通機関がストップし、
また、車を動かすガソリンもない。

そういった、状況の中、
東北をはじめとして、多くの被災地では、
不安と悲しみの中、この一カ月を過ごしてきました。

そこには、無数の悲劇や出来事がありました。

ですが、
この一カ月の間、一人一人に何ができるのかを考え、
多くの方々が、自分にできることを少しずつ行動に移していきました。


その行動も様々で、

中には、自分の行っていることはこれでいいのだろか、
自分が行っていることは正しいのだろうか、
と、自問自答する方も多くいました。

さらには、そのとった行動に対して、

「売名行為じゃないのか」
「そんなの偽善じゃないのか」
「独りよがりの行動だ」

と、意見する者もいたようです。

ですが、
そういった批判をする人に限って、
何の行動もしていなかったり、
安全なところで、声だけ出していたりするものです。

やらないで失敗するより、やって失敗しましょう。
やらないで偽善だと批判するのではなく、
堂々と偽善を実行しましょう。


周りから、どう思われたっていいのです。


とても小さくても、
少し的外れでも、
心が動いた時、
その情熱や思いは行動に移して初めて結果が生まれます。




自分のとっている行動に自問自答しながらも、
自分のできることを、情熱に乗せ懸命に活躍している人たちがいます。

高校野球、プロ野球の選手たちです。


楽天イーグルスの嶋基宏捕手は、
開幕前に大きな心の迷いがあったそうです。

「被災地の仙台が大変な時に、
 自分たちが野球なんかしていていいのだろうか」


ですが、嶋選手をはじめとして、
楽天イーグルスの選手たちは行動に移していきました。

選手のメンバーを複数のグループに分け、
被災地の避難所を中心に、次々と訪問。
多くの避難所では、

「がんばってください!」
「応援しているよ!」
「東北のためにも、絶対優勝してください」


そういった声を次々と受け止め、

嶋選手は、

「逆に勇気をもらった。今度は僕らが恩返しをする番。」

と目を腫らして決意しました。


そして、開幕戦。


多くの人々の気持ちを乗せ、どうしても負けられない一戦。

嶋選手は、自分の失策で相手に先取点を許してしまいます。
打席に立っても、二打席凡退。

しかし、

同点で迎えた7回、2アウトで1,3塁にランナーを置き、
最大のチャンスが巡ってきます。

嶋選手は、このチャンスで、
「迷いは捨てよう」と、直球に的を絞ります。

高めのストレートを全力で振りぬくと・・・、

見事、劇的な決勝の3ランホームラン。

その時、嶋選手の心には、
訪問した宮城県の瓦礫の山となった街や、
苦難にある多くの人々の姿が蘇ってきたに違いありません。

プロ通算で6本塁打しか放っていない嶋選手が、
負けられない一戦で、劇的な力を見せてくれました。

被災地でも、多くの避難所で試合を見ていたファンから、
大歓声が起こりました。



私たち一人一人にできることは、
人それぞれ違います。

自分で自分を評価し、叱咤激励しながら、
継続して、自信を持って行動していきたいと思います。





★ブログランキングに参加しています★

励みになります! 
クリックしていただければ幸いです。↓


    >>人気ブログランキングへ<<
    >>にほんブログ村ランキングへ<<





【 トップページへ戻ります 】

       

カテゴリ: 楽天イーグルス 嶋基宏

テーマ: 東北地方太平洋沖地震~The 2011 off the Pacific coa~ - ジャンル: その他

【お知らせ】祈りとこれからのために~キャンドルナイト~ 


et_001_convert_20110102184555.jpg



「 目的は3つ

  ☆ 今回の地震で亡くなられた方達への追悼の気持ち
  ☆ 計画停電をなんとかなくしたい、
    苦しんでいる人たちの気持ちを分かち合う
  ☆ 原発について考えていく
    (必ずしも廃止論ではなく)         」 



 ■バナー、記事はこちらです↓
 「はっぱの笑子らいふ(はっぱのえこらいふ)」様ブログ より



現在、東日本大震災の問題に対処し、
様々なところで、前向きで勇気ある取り組みがされていますが、

『はっぱの笑子らいふ(はっぱのえこらいふ)』の管理人、
「葉っぱ大好き」さんが、震災後の日本のために、
ある試みと努力をされています。

当ブログでも、
そのことについて皆さんに賛同していただきたく、
記事にさせていただいた次第です。


詳細はこちらです。
クリックすると、ブログ記事に飛びます↓
               

心ひとつに キャンドルナイト



4月11日は、震災があったちょうど、一か月後となる日です。

その試みは、そんなに難しいことではありません。
皆さんにもできることです。

そして、

多くのことをあえて思いだし、
多くの問題を考え直し、
その上で進みだす出すための心の向きを
定めて行きたいと思います。

そして、長く続けていくことに意味があるのです。

時間がありませんが、
どうか、皆さんの多くの賛同をお願いいたします。


なにとぞ、よろしくお願いいたします。




★ブログランキングに参加しています★

励みになります! 
クリックしていただければ幸いです。↓


    >>人気ブログランキングへ<<
    >>にほんブログ村ランキングへ<<





【 トップページへ戻ります 】

カテゴリ: キャンドルナイトの試み

テーマ: 東北地方太平洋沖地震~The 2011 off the Pacific coa~ - ジャンル: その他

『心の制服』は脱ぐな 


74076476.jpg


「 制服を脱いでも 『心の制服』は脱ぐな 」

                        警察学校の教え


東日本大震災において、多くの人命が失われましたが、
その一方で、的確な判断と勇気、行動で、
多くの人命が救われたことも忘れてはならないと思います。

特に津波が来ることを、冷静に判断し、行動した方々が、
紙一重で命が助かったりしていることは、
報道の中でも取り上げられています。

そんな多くのお話の中で、こんな記事がありました。
ご紹介させていただきます↓


東日本大震災の発生直後、福島県新地町のJR新地駅に停車中の電車が大津波にのみ込まれた。約40人の乗客と乗務員の命を救ったのは、偶然乗り合わせた2人の巡査。彼らの行動を後押ししたのは警察学校で学んだ「制服を脱いでも『心の制服』は脱ぐな」という教えだったという。

 相馬署地域課の斎藤圭巡査(26)と吉村邦仁巡査(23)。1年前に巡査拝命。震災当日は福島市の警察学校から相馬署に赴任中でスーツ姿だった。

 電車が揺れた。乗客は20~70代の約40人。吉村巡査は「肝が冷えるような揺れだった」。乗客の携帯電話のワンセグテレビ機能から大津波警報が流れていた。

 斎藤巡査は乗務員に「私たちは警察官です」と手帳を見せ、2人で乗客に「役場まで避難しましょう」と声をかけ続けた。

 「警察官として何をなすべきか」「誘導した後、もし津波が来なかったら…」

 多くの思いが心をよぎったが、余震で車両がゆがみ閉じ込められないようすべてのドアを手動で開け、約1キロ山側の高台にある町役場へ誘導した。吉村巡査は「『大丈夫。家族が来るから駅で待つ』というおばあさんを懸命に説得した」。

役場に着き背後を見ると「不気味な大波が車や建物をのみ込んでいく。正直怖かった」(斎藤巡査)。半信半疑だった乗客もすさまじい形相で悲鳴を上げた。

 現在、斎藤巡査は相馬港に近い尾浜地区で行方不明者の捜索を続けている。駐在所も流された。「普通に暮らしていた方が突然津波にのまれた。冷たい水の中にいたご遺体を家族に引き渡すたび、悲しみを抑えられない」と話す。

 新地駐在所で捜索を続ける吉村巡査は、建物も田畑も消えた一帯を見つめ「もう以前の光景は思い出せないが、『俺たちも頑張るからおまわりさんも頑張ってくれよ』という住民の声に元気をもらっている」。

 相馬署の生田目剛次長は「涙を流しながら訪れてくる乗客や礼状が相次いでいる。ベテランに劣らぬ判断で使命を果たした」と話す。2人の志望は、刑事という。(中川真)

                 「 2011.4.7 産経ニュース記事 より 」



「 制服を脱いでも『心の制服』は脱ぐな 」

もうお分かりの通り、

「制服」とは、

仕事のことに限らず、その人の人間社会、会社、家族などの
大小を問わない組織の中での存在意義、役割のことです。

人は様々な組織の中で生きています。
この世に何の組織にも組み込まれず生きている人は存在しません。
別の言い方をすれば、人は一人では生きていけません。

『心の制服』とは、

様々な複数の組織の中で生きていく上で、
あなた自身の人生や生きがいを支えてくれる
大切な組織における果たすべき使命、役割のことです。

その大切な組織は、
人によって様々です。

家族かもしれません。
夫婦かもしれません。
仕事かもしれません。

ですが、

人生や命運を左右する時、
決断を迫られる時、
窮地にあって心に問いかける時、

心の制服のボタンを締め直しましょう。

生きていく中で、
あなたの進む方向が、きっと見えてくる。
きっと陽の登る方向に進んでいける。

そして、

心の制服を着替える時もあるかもしれません。
心の制服を洗濯する時もあるでしょう。

ですが、あなたは裸で歩きだすことはできません。


心の制服をもう一度、羽織って歩き出しましょう。




P.S


お話は変わりますが・・・・・


昨晩、大変な余震がありました。
それだけで、大地震と言える大変な余震です。

私は、前日夜勤だったので、
みなさんのコメントなどを拝見することができず、
ちょうど、みなさんのコメントにお返事を書いているところでした。

また、職場である老人ホームに直行(^^;
停電がいたるところで起きており、
救急車、消防車、ヘリコプターが行き交う中、
またか・・・、と不安になってしまいました。


そんな、不安を吹き飛ばしてくれる、
珍しいヒーローをご紹介いたします。

しばらく、心から笑っていなかった私に、
パワーを送ってくれました。

このCMがお嫌いの方、すみません(^^;
どうしても、載せかったのです。
今回は、思いっきりわがままです。

いつか、削除するかもしれません。


皆さんご存じ、「公共広告機構AC」のCMから(?)・・・









自粛ムードも行きすぎると、後退するのみです。

日本の元気は、東北の元気です。

お祭りも、イベントもどんどん行って、
被災地に勇気と笑顔のパワーを送ってください。


未来に向かって、行くぞ! グレートありがとウサギ!




★ブログランキングに参加しています★

励みになります! 
クリックしていただければ幸いです。↓


    >>人気ブログランキングへ<<
    >>にほんブログ村ランキングへ<<





【 トップページへ戻ります 】


カテゴリ: 警察学校の教え

テーマ: 東北地方太平洋沖地震~The 2011 off the Pacific coa~ - ジャンル: その他

生きている不思議 死んでいく不思議 


brd0001-004_convert_20110406014634.jpg


「 生きている不思議 死んでいく不思議
  花も風も街も みんなおなじ

  呼んでいる 胸のどこか奥で
  いつも何度でも 夢を描こう

  かなしみの数を 言い尽すより
  同じくちびるで そっとうたおう

  閉じていく想い出の そのなかにいつも
  忘れたくない ささやきを聞く
  こなごなに砕かれた 鏡の上にも
  新しい景色が 映される

  はじまりの朝の 静かな窓
  ゼロになるからだ みたされてゆけ

  海の彼方には もう探さない
  輝くものは いつもここに
  わたしのなかに 見つけられたから  」


          映画『千と千尋の神隠し』
          主題歌『いつも何度でも』 歌:木村弓 より





前回で、この東日本大震災に関する記事は
最後にしようと思っていたのですが、
私の職場の後輩の事を、最後にお話ししておきたいと思います。

私が体験した、
東日本大震災の記事を最初からお読みになりたい方は、
こちらからどうぞ↓

『東日本大震災が起こったあの日』 


今回お話しする女性は、
以前お話した女性職員とは違った人物です。


私の職場で働いている、就職して2年目の若い女性職員がいます。

彼女は私と同じ部署で働いていて、
持ち前の明るさと無邪気で一途な心を持った、
将来有望な若手職員です。

宮城県の南三陸町、志津川という所の出身で、

仙台の大学の福祉科を卒業し、
私の勤め先である福祉施設に去年入社しました。

しかし、

平成23年、3月11日14時46分。東日本を巨大地震が襲いました。

彼女の出身地である南三陸町はリアス式海岸の、とある港町で、
今回、地震と津波の甚大な被害を受けたところです。


私の職場である福祉施設は震災直後、
ライフラインが遮断され、
外部からの援助も全くない状態で、危機的な状況に追い込まれました。

全ての職員は、それぞれの家庭で問題を抱えながら、
できる限りの精神力と知恵を振り絞って、
難局を無事に乗り越えられました。

しかし、

後輩の彼女の御両親は震災当時、その南三陸町にいました。

一週間経っても、連絡が付きません。

携帯電話、固定電話が通じるようになっても、
連絡が付かないのです。

テレビや新聞、ラジオでは、
南三陸町の壊滅的な被害を次々と報道していきます。

死者の数も毎日増えていきました。

それでも、彼女はご両親と連絡が取れません。

それでも彼女は、目の前の高齢者のために、
その苦難な生活を支える為に、休むことなく出勤しました。

ある日、職場にいる彼女の両目が赤く充血していることに気付きました。

ほとんど眠れないまま、
あるいは、泣き明かして出勤してきたのかもしれません。

それでも彼女は昼も夜も働き続けました。

私は、そんな彼女が不憫で健気でどうしようもありませんでした。


そんなある日、

彼女の携帯電話に見たこともない番号の着信がかかってきていました。

彼女は、日常的に、怪しく知らない番号にはかけ直しません。

でも・・・・

その時、もしかしたら・・・と思ったそうです。


そうです。

避難所からの固定電話の着信だったのです。

彼女の母親からの避難所からの連絡だったのです!


彼女は、そのことを私に知らせてくれました。
満面の笑みを添えて。

彼女のご両親は、震災直後、
すぐに高台にある地元の高校に速やかに避難していました。

南三陸町志津川の避難所である高校は非常に高台にあり、
その難を逃れることができました。

■参考記事→ 震災直後の志津川高校「校庭のSOSが見える」


高齢者や体の不自由な方で援助がなかった方、
津波のことを過小評価し避難しなかった方、
避難はしたものの、
引き返して大切なものを家に取りに行ってしまった方・・・

そういった人々は、津波に飲まれ、亡くなってしまったそうです。

それは、あまりに過酷なギリギリの運命の分かれ道だったそうです。


その後、電話の通信状態が非常に悪く、
ろくに話もできない状態が続いたそうですが、
彼女の母だけでなく、父も無事だったことがわかりました。


その後、彼女と二人で施設の夜勤をした時・・・、

なんと、私の目の前で、
朝5時前に彼女の携帯に電話がかかってきました。
彼女の母親からでした。

「あ・・・、この番号・・・・・え~! お母さんお母さん-!」

と彼女は飛び上がって喜んでいました。

彼女が御両親ときちんと会話できたのは、この時が初めてでした。

南三陸町は集団避難を決め、
彼女のご両親は、仮設住宅ではなく、
娘である彼女のいる一人暮らし用のアパートに引っ越してくることに、
とりあえず決めたそうです。

私も良かった・・・と、とてもうれしくなりました。



ですが、

一方で、多くの亡くなった方がいる。

二度と帰ってこない懐かしい街がある。


生きているとは、死んでいくとは・・・

あまりに突然訪れた、多くの死との直面。
同時に、生き残って再開を喜ぶ人々。

私は混乱していました。


こんなに簡単に、人が次々死んでゆく。

ほんの紙一重で、人は生き残ってゆく。




不思議にその時・・・、

大好きなこの曲が自然と心に浮かび上がって来ました。





■歌詞全文はこちらです→ 木村弓『いつも何度でも』の歌詞


歌詞を口ずさんで、ハッとしました・・・


その歌詞が・・・、

この震災を事前に知っていて作られているような歌詞に
聞こえてしょうがないのです。


多くの死者を出してしまった、大自然のある出来事。

今も続いている天災と人災よる震災被害。



小さくても、
些細なことでも、
できる力を尽くし、

みんな、手を取り合っていきましょう。

巡り巡って、

亡くなった方にも、
生きている方にも、
これから生まれ来るものにも、

暖かい日の当たる、幸がありますように・・・。






★ブログランキングに参加しています★

励みになります。 
クリックしていただければ幸いです。↓


    >>人気ブログランキングへ<<
    >>にほんブログ村ランキングへ<<





【 トップページへ戻ります 】

カテゴリ: 悲しみの数を・・・

テーマ: 東北地方太平洋沖地震~The 2011 off the Pacific coa~ - ジャンル: その他

東日本大震災が起こったあの日 【7】 


CIMG3619_convert_20110331231617.jpg


「 命の重さを知るには、大きすぎる代償でした。
  しかし、
  苦境にあっても、天を恨まず、運命に耐え、
  助け合って生きていくことが、
  これからの私たちの使命です。       」


               宮城県気仙沼市階上中学校答辞より



上の写真は、私が数日前に撮影したものです。

また、以下にお見せする写真の全ては、
私が撮影したものです。

今回は、私が直接見てきた、
東日本大震災(東北関東大震災)の姿をお伝えしていきます。



ところが、

私は悩みました。

最も被害の大きい地域に赴き、
命が助かった自分が、徘徊したり、写真を撮ったり、
それが亡くなった方や家を失った方に対して
失礼にならないかと・・・

ですが、

この世界最悪とも言われる大震災の爪痕を直に見て、
日本人として決して忘れないように、
生きている自分が、直接見ておかなければならないと思いました。

子孫や後世に伝えられる生きている自分が、
この惨事を、いま自分の目で見ておかなければならない。


そういった思いの方が強かったのです。

私はジャーナリストではありませんが、
言葉だけではなく、画像という形で、
見てきたこと感じたことも綴っていきたいと思います。


私の住んでいる自宅から3キロほど移動すると、
このような風景が広がっています。
車で数分ほどの距離になります。


CIMG3603_convert_20110401223230.jpg


行ってみて、まず驚いたのがこの風景、惨事・・・

直に見ると、その悲惨な状況に言葉も出ません。
筆舌に表しがたい・・・とはこのことです。

そして驚いたのが、海から数キロ離れているにもかかわらず、
潮の香りが一面を覆っていました。

海の香りがするのです。

しかし、いい香りではありませんでした。
なにか、くすんだような、錆びた濁った匂いが辺りに立ち込めます。

田んぼから、道路から、敷地まで全てが海水に犯された証拠でした。

少し行くと・・・

道路が遮られています。


CIMG3599_convert_20110401225534.jpg


数キロ離れた、防風林の松かもしれません。
どこから流れてきたのか、
長い路上に無数に松の大木が横たわっています。

ふと、田んぼの方に目を向けると、
どこから来たのか・・・その田んぼの真ん中に車があります。


CIMG3598_convert_20110401230133.jpg


この車も、道路に不自然に横たわっています・・・。


CIMG3601_convert_20110401231900.jpg


少し進むと、車がいたるところに横たわっています。

車上荒らしでしょうか。それとも津波の衝撃でゆがんだのか、
ドアが不自然に曲がっています。


CIMG3604_convert_20110402174925.jpg


また、いくつかの車には、
後からガソリンが抜き取られた(?)形跡が見てとれます。


CIMG3605_convert_20110401233027.jpg


CIMG3606_convert_20110401233312.jpg


頑丈な鉄骨が、無残に折れ曲がっています。


CIMG3607_convert_20110401233808.jpg


少し進んでいくと、海に近付いていきます。
海の近くの住宅街だった場所です。

そこには何も残っていません・・・。

何があったのかすら分かりません。


CIMG3608_convert_20110401234637.jpg


CIMG3612_convert_20110401235310.jpg


ものすごい、地震と津波の威力です。
緊急援助隊として現地で働いている知人が、
「原子爆弾が落ちたのと同じ・・・」
と言っていましたが、そうとしか表現できない景色が広がります。

人の声も、車の音もなく、異常に静かです。
たまに聞こえてくる、ヘリコプターの推進音だけが、
妙に殺伐として響きます。


右隅に、玄関のタイルが見えます↓
その土地の高さから、えぐられるように地面が沈下(?)しています。
地形が全く変わっています。

CIMG3614_convert_20110401235754.jpg


家の基礎ごと移動してしまっています↓
信じられない津波の力です。

CIMG3616_convert_20110402000628.jpg



さらに進むと、浜辺につきました。

何もなかったように・・・、静かな風景です。

寄せては返す波の音だけが、静かに時を刻んでいます。


CIMG3609_convert_20110402001316.jpg


しかし・・・

後ろを振り返ると、

浜辺近くの鉄製の柵が、全て陸の方に倒れ掛かっています。
津波の力の凄さを物語っていました・・・。


CIMG3610_convert_20110402001814.jpg


そのすぐ側には防風林があります。

直径30センチもあろうかという松が、
引き裂かれたように折れています。
津波の信じられない威力が伝わってきます。

どの防風林の松も、陸側に折れて倒れこんでいます。

CIMG3611_convert_20110402175842.jpg


CIMG3618_convert_20110402181337.jpg


海にほど近い、美しかった川は一変し、
多くの瓦礫に覆われていました。

CIMG3619_convert_20110331223135.jpg



私は、実際に現地に行き、
本当に起こった現実を受け止めることができました。

願わくば、この出来事がもう二度と起こることのないように祈るとともに、
この出来事は、規模の大小はあれども、
日本の沿岸どこにでも、起こり得る現実なのだと、深く考えさせられました。


仙台藩初代藩主、伊達政宗公は、この出来事を高いところから、
どう感じて、どんな思いで見ているのでしょうか・・・。

そんなことも感じてしまいます。



今回の東日本大震災は、

私たちに大切なものを気付かせてくれました。
また、この地球上で生きていくための教訓を得ました。

しかし、

その代償は、あまりにも大きく過酷なものです。

今も福島第一原発の状況は、予断を許しませんし、
多くの行方不明者は未だにその所在は分かっていません。

そして、避難所生活は長引き、
あまりにも多くの人々の雇用、医療、生活、メンタルの問題を
抱えたまま時が流れています。

多くの人々からの、物資、金銭、労働、心のありがたい援助をいただきながら、
時間はかかっても、復興に向けて歩むしかありません。

阪神淡路大震災をはじめ、多くの災害を乗り越え、たくましく生き、
東北に多くのありがたいお気持ちを伝えてくれる全国、世界中の人々。
痛みを共有し、共に涙を流してくれる多くの人々。
痛みを行動力に変え、多くの愛とパワーを送ってくれる人々。

本当にありがたく思っています。



気仙沼市のある中学生の答辞です。






私たちは、この出来事を決して忘れない。
私たちは、この出来事を通して初めてわかったこと、
初めて感じた多くのことを忘れない。



今後は、生かされている感謝を胸に、笑顔を取り戻し、
本当に苦境の中にある多くの方々と共に、
復興というよりは、開拓する志を持って進んでいければと思っています。





★ブログランキングに参加しています★

励みになります! 
クリックしていただければ幸いです。↓


    >>人気ブログランキングへ<<
    >>にほんブログ村ランキングへ<<





【 トップページへ戻ります 】


カテゴリ: 東日本大震災が起こったあの日、私は・・・

テーマ: 東北地方太平洋沖地震~The 2011 off the Pacific coa~ - ジャンル: その他