FC2ブログ
消費者金融と銀行
02« 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.»04

【 最新記事と感動映像 】


  ●●● 皆さまにお知らせ ●●●

いつもいつもご訪問ありがとうございます!
更新再開模索しております!お待ちくださいね。
どうかこれからもよろしくお願い致します(^^)
皆さまには感謝。感謝です。


  ●●● 最新記事 ●●●

【 全記事一覧 】

  ●●● ~忘れられない名言~ 感動映像 ●●●

あなたさえも知らない、本当の自分と未来に出会うために、
時に雨に打たれながら、時に星空を見上げながら、歩いていこう・・・
そんなあなたを見て、必ずその後について来る人がいるから。
その後に、誰も知らなかった新しい道ができているから。



■ これまでの「名言感動映像」はこちらです。
■ 管理人の仙台での「東日本大震災」の体験記はこちらです。
■ ブログ『はっぱの笑子らいふ(はっぱのえこらいふ)』さんの
  震災や今後の未来に対する取り組みです。クリック!↓ 心ひとつに キャンドルナイト

東日本大震災が起こったあの日 【3】 


a0050_000369_m_convert_20110319220617.jpg


「 暗すぎて今まで見たことないくらい
   星が綺麗だよ
    仙台のみんな、上を向くんだ 」


                    Twitterより



私の職場である特別養護老人ホームには、
被災した時、ライフラインが断たれた時のため、
食料と水、炊き出しをするための機材などが、
備蓄されていました。

近隣の住民が一部避難を求めてきた時のためにも、
準備をしていました。

しかし、

今回のこの地震は私たちの想像をはるかに超えていたのです。

食料も水もせいぜい3、4日分ほどしかありません。
ストーブに使用する灯油も多くは備蓄していません。

施設には、130人の利用者がいて、
働いているスタッフの食料、水も考えなくてはなりません。

ざっと150人以上の食料を提供していかなくてはならず、
その食料を外部からすぐに調達するのは、極めて困難でした。
また、どこからも救援物資が届きません。


施設では、まず食料をできるだけ長く持たせるために、
一日2食とし、水も生命を維持できるギリギリの摂取量で
提供していくことを選択しなければなりませんでした。

1食が小さな紙コップにわずかなお粥と
その上に非常食のおかずを載せたものです。

暖房も電気の明かりもなく、
皆、空腹と寒さ、不安に耐えていました。

施設利用者の中には、障害を抱えている方、
認知症の方も多くいます。

認知症の方の中には、
地震が起こってすぐに、あの大地震のことなど
すっかり忘れてしまっている方も多くいました。

そんな方の中には、

「なんでこれしかご飯を出さないの!どうなっているの!」
「どうして水がないの?」


と怒りだしたり、不穏になる利用者の方も
何人かいました。

私たち職員も、返す言葉に困ってしまいます。


3日も過ぎると、
ガソリン不足も深刻になってきます。

職員は9割以上、自家用車で通勤しています。
このままだと、少なくとも遠方の職員は出勤できなくなります。

しかし、

どこのガソリンスタンドも営業していません。
たまにスタンドが開くと、1キロ以上の車の列ができ、
12時間以上並んでわずか20リッターしか
手に入らない状況です。
ひどいと、何時間も並んで、「売り切れました」と言われ、
購入できない人もいます。

食料も同様で、
小さなスーパーには何時間も前から、
何百人も並んで、パン1個とバナナ数本しか
手に入らなかった、といった状態です。

真冬並みの寒さの中、
その異常な街の光景は、
よけいに住民の不安をあおっていきます。

明日の食料、水、燃料を手に入れるために、
皆できることは何でもしていきました。



沿岸部の被災地では、もっと過酷です。

逆さになった壊れた車から
穴を開けてガソリンを抜き出しました。

流され倒壊した家屋の中から、
泥だらけの食べ物を見つけ、
洗って皆の食料にしています。


そんな時、

電気の明かりが全くないある夜、
私はふと空を見上げました。
今まで空を見上げる心の余裕がなかったのですが、

天を仰いだとき・・・

満天の星が漆黒の闇の中、信じられないほど輝いていました。

天空の真ん中には、オリオン座が仙台を見下ろしていました。
何の明かりもない、真っ暗闇の仙台を頭上から
静かに、力強く見下ろしていました。
これほどキレイな星空は見たことがありません。


「 暗すぎて今まで見たことないくらい
   星がきれいだよ
    仙台のみんな、上を向くんだ 」

                    Twitterより



被災された多くの皆さん、
救援の手を差し伸べてくれた多くの皆さん、
共に上を向いて進んでいこう!

何があろうとも、進んでいくことでしか。
これからの人生は切り開いていけない。


ここで、日刊スポーツより記事を紹介します↓


黙って大阪におられへん! 大阪市内で移動型自転車修理店「新北島サイクル」を営む衛藤典雄さん(66)が19日、小型車で約16時間かけ、避難所となっている仙台市若林区の七郷小学校まで到着した。さっそく無料で自転車やバイクのパンク修理、車いすの修理を引き受け、被災者たちを元気づけた。

 いてもたってもいられなかった。大阪から徹夜で運転し、1人で仙台に駆けつけた。衛藤さんは、約1200人の被災者が身を寄せる七郷小学校に到着すると、車から修理道具を取り出し、通りがかる人々に次々と声をかけ始めた。

 「大阪からパンクの修理にきたで~。自転車おかしかったら、持っておいでや~。大阪やって皆のこと応援してるんやで~」。

 衛藤さんは18日に地元警察署で緊急車両の許可証をもらい、夜10時半に大阪市住之江区の自宅を出発。夜通しで北陸道を新潟まで北上。その後は一般道で山形を経由し、19日午後2時半に仙台に到着した。「家族は少し心配していたけど、テレビで報道を見ていて、助けにいかなきゃと思った。大阪を出てから一睡もしてないけど、大丈夫や」。

 ガス欠を心配し、高速道路ではサービスエリアを通るたびに給油を繰り返した。その数10回。食事もおにぎり2個だけで、ひたすら走り続けた。到着後、校内放送で修理車の到着が伝えられ、パンクした自転車を持った被災者が次々と姿を見せた。「夜も車で寝るから大丈夫。皆には迷惑はかけへんで」と笑った。

 衛藤さんは30年ほど前から、大阪で移動自転車修理業を営んできた。自身も阪神大震災の経験者。幸い、大きな被害はなかったが、その時は自転車のパンクで困っている人がいることを知らず、応援に駆けつけることができなかったことをずっと後悔していた。

 「今度同じようなことが起こったら、絶対に助けに行こうと思ってたんや。車いすも壊れていると聞いていたし、介護の人の疲れも限界にきているしな」。

 修理を終えて、被災者からお礼を言われると「将来、あの時大阪からあんなおっちゃん来てたなあって、思い出してくれたらそれでいいんや。みんな頑張るんやで」と、屈託のない笑顔を見せた。衛藤さんは若林区内の被災地を中心にして、今後も25日まで各避難所をできる限り回る。1人でも多くの人のために-。大阪のおっちゃんは真っ黒な手で、休むことなく無償で修理を続けていく。【福岡吉央】

                      3月20日 日刊スポーツ紙面より



私たちは、決して一人ではない。
皆が、一人一人ができることはなにか、
悩みながらも、間違えながらも常に行動していきたい。

みんな! 「大阪のおっちゃん」に続け!



次回に続きます。



ブログランキングに参加しています。

励みになります! 
クリックしていただければ幸いです。↓

    >>人気ブログランキングへ<<
    >>にほんブログ村ランキングへ<<





【 トップページへ戻ります 】

スポンサーサイト



カテゴリ: 東日本大震災が起こったあの日、私は・・・

テーマ: 東北地方太平洋沖地震~The 2011 off the Pacific coa~ - ジャンル: その他