FC2ブログ
消費者金融と銀行
02« 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.»04

【 最新記事と感動映像 】


  ●●● 皆さまにお知らせ ●●●

いつもいつもご訪問ありがとうございます!
更新再開模索しております!お待ちくださいね。
どうかこれからもよろしくお願い致します(^^)
皆さまには感謝。感謝です。


  ●●● 最新記事 ●●●

【 全記事一覧 】

  ●●● ~忘れられない名言~ 感動映像 ●●●

あなたさえも知らない、本当の自分と未来に出会うために、
時に雨に打たれながら、時に星空を見上げながら、歩いていこう・・・
そんなあなたを見て、必ずその後について来る人がいるから。
その後に、誰も知らなかった新しい道ができているから。



■ これまでの「名言感動映像」はこちらです。
■ 管理人の仙台での「東日本大震災」の体験記はこちらです。
■ ブログ『はっぱの笑子らいふ(はっぱのえこらいふ)』さんの
  震災や今後の未来に対する取り組みです。クリック!↓ 心ひとつに キャンドルナイト

東日本大震災が起こったあの日 【2】 


311earthquake032_convert_20110319060906.jpg


「 津波が住宅や畑を飲み込んでいきます!
          大変危険な状況です! 」



津波の恐れがあること、
職場である老人福祉施設に向かうため、
私は西に向かいました。

しかし、道路は体験したことのない大渋滞。
無理もありません。
信号機は全て消え、交通整理をする者もありません。
無法地帯となった大きな交差点では、車がひしめきあい、
非難するため、その交差点を子供や老人も渡っていきます。

非常に危険極まりない状況です。

夜7時ころになると、辺りは真っ暗闇となり、
明りは車のライトだけとなりました。
より危険な状態です。


車窓からは、
二階部分がつぶれてしまった建物、
壁が全て崩れ落ちたアパートなど、
倒壊した建造物が所々に見られます。

暗闇の中どこへ向かうのか、
親に連れられ、泣き叫ぶ子供。

大きな荷物を持って、たった一人で走る若者。

何度も何度も携帯を必死で操作する女性。


町は情報もないまま、多くの人と車で混乱していました。

走行中は車載のワンセグテレビを見ていましたが、
信じられない情報が次々と入ってきます。

その時、私が実際見ていた映像です↓




「・・・・・・・・・・・・」

あまりの映像の凄まじさにこの世の出来事とは思えませんでした。

なんとか、18キロ離れた職場に着くと
すでに出発してから5時間が経過していました。

老人福祉施設は完全に漆黒の闇に包まれ、
広い駐車場に駆け付けた職員の車のライトだけが、
場違いのようにギラギラと闇を横切っています。

すぐに自分の部署に辿りつくと、
日中勤務の同僚たちが、全て残って対応に追われていました。
すでに、夜9時を回っていました。

施設は、電気、水道、ガス、通信、全ての機能が失われていました。

一部、職員の家族も避難して来ていて、
食堂として使われているホールに予備の布団を敷き、
肩を寄せ合っています。
明りは懐中電灯の明かりだけです。

同僚に状況を聞くと、幸いなことに利用者、勤務者にけが人はなく
建物に大きな損傷はなかったとのこと。
しかし、暖房が全く効かず、かなり冷え込んでいます。
廊下やホールにはわずかなストーブだけがほのかな光を放っていました。

私は、コンビニエンスストアでとっさに購入した、
食料とお茶などの飲料水を夜勤者に手渡しました。

しばらくすると、
主任が来て、嬉しそうに駆け寄ってきます。

「おお! 来てくれたんだ。ありがとう。」

皆、情報の面でも孤立しており、外で何が起きているか分からず、
目の前の高齢者のために飲まず食わずで必死ではたらいていました。

テレビもなく、通信手段も全て絶たれ、
私がテレビで見た映像のことを話すと、
皆言葉を失っていました。

その後、スタッフが集まって、今後のとりあえずの対策を立てます。
明日からの困難な状況のために、夜勤者を残し、
全てのスタッフが帰宅しました。


本当の困難は次の日から始まりました・・・。



ここで、産経新聞より記事を紹介します↓

「苦しいけど 負けないで! 名取市職員 S」。東日本大震災で大津波が押し寄せた宮城県名取市の市役所玄関ガラスにこんなメッセージが書かれた紙が張り付けてある。書いたのは名取市職員、西城卓哉さん(30)。津波で最愛の妻、由里子さん(28)が行方不明になり、8カ月の長男、直人くんを失った。自分と同じくかけがえのない家族を失った人たちは多い。それでも精いっぱい生きてほしい-。そんな思いを込めたという。

 3月11日。激しい揺れを感じた西城さんはすぐに、職場から由里子さんの携帯電話を鳴らした。一瞬つながったが声を聴けず、途切れた。すぐに市役所は地震で大混乱、職員としてさまざまな対応に追われ、気が付くと12日未明になっていた。ようやく自宅マンションへ戻ると、エレベーターは止まり、泥に足をとられた。部屋に入ると、2人の姿はなかった。近くの由美子さんの実家へ向かった。

 毛布、食料、紙おむつ…。寒さと飢えをしのげるよう紙袋に目一杯詰め込んで、必死に歩いた。「あとは、2人を見つけるだけ」。しかし、周辺に原形をとどめる家はほどんどなく、がれきの山だ。ひょっとしたら、がれきの下敷きになっているかも知れない…。由美子さんの実家を目指しながら、一晩中捜した。しかし、実家も建物はなくなっていた。

 翌日夜、由里子さんの母親とようやく出会えた。自衛隊のヘリコプターに救出されたのだという。憔悴しきった義母は「2人とも流された。どこにも姿がないの…」という。絶望的な気持ちになったが、わずかな望みを信じ捜索を続けた。

 しかし、直人くんとみられる遺体が安置所にあると聞き、15日夜、身元を確認した。「肌着も服もよだれかけも、妻が好んで着せる組み合わせだった」。安置所で死亡届を出すと居合わせた同僚職員が泣き崩れた。

 職場の後輩だった由里子さんと出会ったのは3年前。「誠実で信頼できる人」と一目で直感し、6月14日の由里子さんの誕生日にプロポーズした。昨年7月には直人くんが生まれた。幸せだった。デジタルカメラには、3人で迎えた最初のクリスマスの写真が保存してある。今年2月に撮影した1枚は3人で写った最後の写真。眺めていると、さまざまな思い出があふれてくる。

 それでも西城さんはメッセージを書いて、市役所玄関ガラスに貼り付けた。

『 最愛の妻と生まれたばかりの一人息子を大津波で失いました。

  いつまでも二人にとって誇れる夫、父親であり続けられるよう

  精一杯生きます。

  被災されたみなさん。

  苦しいけど

  負けないで!

                        名取市職員 S 』

                     3月17日 産経新聞記事より



死亡が確認された人数はすでに6900人以上。
被災地では、今も10000人以上が行方不明となっています。



次回に続きます。



ブログランキングに参加しています。

励みになります! 
クリックしていただければ幸いです。↓

    >>人気ブログランキングへ<<
    >>にほんブログ村ランキングへ<<





【 トップページへ戻ります 】

                 
スポンサーサイト



カテゴリ: 東日本大震災が起こったあの日、私は・・・

テーマ: 東北地方太平洋沖地震~The 2011 off the Pacific coa~ - ジャンル: その他