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消費者金融と銀行
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あなたさえも知らない、本当の自分と未来に出会うために、
時に雨に打たれながら、時に星空を見上げながら、歩いていこう・・・
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その後に、誰も知らなかった新しい道ができているから。



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東日本大震災が起こったあの日 【1】 


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「 さらに津波が来る恐れがあります!
  若林区役所まで津波が来ました。
  すぐに避難してください!
  できるだけ、できるだけ、
  西の方に早く逃げてください!  」


 

地震が起こったその日、私は近所を歩いていました。
気温が低く、横殴りに雪交じりの風が吹いていました。

新築中の新居の工事の様子を窺いに、
仮住まいの家から徒歩で向かっていた最中でした。

工事中の新居の前まで来ると、
それは突然やってきました。

「・・・・・・・?!!」

最初は小さな長い揺れが続き、
うねるような信じられない激震が襲ってきたのです。

それは立っていることができない、
経験したことのない大きな揺れでした。

大きな地鳴りと建物がきしむ無数の音・・・
目の前の電信柱が揺れ、悲鳴がどこからか聞こえてきました。

各家庭から、人が飛び出してきます。

目の前の家からは、赤ちゃんを必死に抱きしめた
若いお母さんが飛び出してきて、地面にうずくまります。

電信柱が折れて、倒れてくるのでは・・!

そんな恐怖を感じるほど、何度も強振します。

若いお母さんに

「大丈夫ですか!」

と声をかけるも、揺れが激しすぎて近寄れません。
赤ちゃんを抱いたお母さんは震えながら
「大丈夫」だとうなずいていました。

揺れがやっと収まってくると、
ハッと我に帰りました。

これは・・・大変な事態になってくる!!

揺れが収まって、すぐに携帯が使えなくなる前に、

「私は無事です。皆は無事?」

と親などにメール送信。
すぐに職場の上司にも同様に送りました。

すると、わずか数分で携帯が通信不能になりました。

仮住まいに戻ると、家の中は倒れてきたもので一杯。
割れたガラスが廊下に散乱していました。
壁が崩れて、落下しており、
通れなくなっている所もありました。

私はライフラインが寸断されることを想像し、
近くのコンビニエンスストアに車で向かいます。

「信号機がすべて消えている・・・」

各地の道路で車の渋滞が始まっていました。
交通整理をする者もおらず、
交差点は非常に危険な状態です。

コンビニに着くと、
既に、多くの方が、水や食料を買い求めるために、
レジに並んでいました。

コンビニの店内は割れた酒瓶の匂いが充満していて、
商品が無数に床に散乱していました。

かごいっぱいに商品を買い込むと、
車に乗り、状況を把握するために、
ワンセグ放送でテレビを付けて見ます。

「・・・・・・震度7!!?」

信じられない情報が次々と報道されていました。

再び、ハッと我に帰りました。

すぐに、職場に向かわなければ!

私の職場は特別養護老人ホームで、
130人の入居者と30人のデイサービス利用者がいました。

ライフラインを断たれると、
食糧などの備蓄も数日で尽きてしまい。
援助が無ければ、最悪の事態も考えられます。

道路は渋滞もあり、危険でしたが、
18キロほど離れていた職場に向かうことを決意。
家族、友人、同僚、施設利用者の無事を祈りつつ、
エンジンキーを回しました。

その時でした、

仙台市若林区役所の広報車が近寄ってきます。


「さらに津波が来る恐れがあります!
 若林区役所まで津波が来ました。
 すぐに避難してください!
 すぐに避難してください!
 できるだけ、西の方に早く逃げてください!」


「・・・・・・」

その広報車が言っていることにわかには信じられませんでしたが、
あの大地震の後の市の広報車の言葉です。

職場はちょうど西の方角にありました。

家に用意してあった災害用の避難用品と
毛布、水、着替えなどを車に急いで積み込み、
西の方に向かって行きました。

幸い、私自身は直接津波を見ることもなく、
直に被害を被ることもありませんでした。

しかし、

それから、長い長い混乱と苦境が待っていようとは・・・

その時はまだまだ、状況を楽観しており、
何も分かっていない無知な自分が、
ただただ西に向かって車を走らせていました。


次回に続きます。


 

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カテゴリ: 東日本大震災が起こったあの日、私は・・・

テーマ: 東北地方太平洋沖地震~The 2011 off the Pacific coa~ - ジャンル: その他