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あなたさえも知らない、本当の自分と未来に出会うために、
時に雨に打たれながら、時に星空を見上げながら、歩いていこう・・・
そんなあなたを見て、必ずその後について来る人がいるから。
その後に、誰も知らなかった新しい道ができているから。



■ これまでの「名言感動映像」はこちらです。
■ 管理人の仙台での「東日本大震災」の体験記はこちらです。
■ ブログ『はっぱの笑子らいふ(はっぱのえこらいふ)』さんの
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東日本大震災が起こったあの日 【6】 


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「 私はまだ何度も見て泣く元気がある。
   だからまだ何度でも心動かす元気があるなら、
        精一杯支援しようと思ったのです。」


        『LEAF PALLET』 管理人:ミリわん様のブログより



今回の東日本大震災(東北関東大震災)が、
生命、人生、生活、エネルギー問題、経済、世界情勢、
今後の日本の在り方に
大きな衝撃と課題を投げかけました。

ですが、

多くの日本人がその苦境に際して、
普段は見せることない信じられない力も見せ始めています。


私のブログにも、
大切なブログ友達、当ブログの記事を紹介して下さった方々、
見て下さっている読者の方から、
多くのコメント、メッセージをいただいています。
本当に、本当にありがとうございます。

その熱い思い、深い応援メッセージの一部を
感謝の意味も込めて、ご紹介いたします。



私の大切な友人、
『人間学を活学する為の名著選blog』の管理人である、
儒侠の瓠洲(じゅきょうのかくしゅう)さんから、
震災直後すぐにメールをいくつかいただきました。

その内の、あるメールの全文です。


「失いに失い尽くし、痛めつけられるだけ痛めつけられ、
 残されたのは体ひとつ。
 心は空虚で、先の見通しなど考えられない心境。

 皆が、立ち直れる程強くはありません。

 今は空虚かもしれません。
 だから、空虚を受け入れるしかないでしょう。
 内より元気がみなぎるには時間が掛かるのです。
 それが普通の人間の反応ですよ。

 明かにマイナスの精神状態です。
 ただ、マイナスをプラスと思い込むことは、
 精神的に無理がくると思います。

 被災した心に必要なのは自己啓発本の言葉ではないと私は思います。
 急に元気になろうとしなくても良いのです。
 今は虚無でも、空虚でも良いのです。
 あなたが失った物の大きさ、大切さを受け止めてあげてください。
 その感覚は、いつまでもあなたの隣には居たりしません。

 あなたがその空虚を味わい尽くし、大切な物の有り難さを受け入れて、
 自分の力で立ち上がれるようになったら、歩き出そうではありませんか。

 みんなあなたを急かしたりしません。
 みんなあなたを見守っています。
 みんなあなたが立ち直れると信じています。
 みんな祈っています。

 あなたが失った物と同じだけ、みんなはあなたを大切に思っているのです。」



私は本当に嬉しく、感動したのですが、
震災で命が助かり、幸運に恵まれた私よりも、

多くの大切な物を失った方々に必要な、
大切で素晴らしい言葉、メッセージだと思うのです。

また、

私のある大切なブログ友達の友人(メキシコ在住)の方から、
温かいメッセージが贈られてきました。

これは、震災を受けた方に向けての写真付きのメッセージです。

被災された多くの方のために、
朝日が上るのをを待って、ご夫婦二人で写真を撮られたようです。


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ハートの形が、朝日を包んで、
その二人がそれぞれ、人という形をしています。

人と人とが手を取り合って心が一つになった時、希望が見えてくる。
私はそんな思いを受け取りました。


そして、メキシコからのメッセージ・・・。


「地震で
 大切な大切な家族を失った人
 自分の命よりも大切な愛しいパートナーを失った人
 なんでも話せた心の友を失った人
 会社のよき相談相手の上司、
 だらしないけど頼りになった部下
 そして戦友のような同僚を失った人
 家族のように思っていた犬や猫や動物たちを失った人
 ご近所のいつも可愛がっていた犬や猫を失った人

 自分の命よりも
 大切だと思っていた
 そんな
 そんな
 あなたの
 大切な大切な人を失った方

 それから
 懐かしい想い出がたっくさんつまった
 愛着のある家や学校、職場
 それらを
 失ってしまった方
 

 最後に

 この震災でお亡くなりになった
 すべてのみなさまへ
 心よりご冥福を申し上げます。


 みんなが
 朝目覚めたとき
 決して絶望に襲われませんように・・
 いつも祈ってます。

 今日も
 地球のどの場所にも
 公平に朝日は昇ります!


 朝日のエネルギーは偉大です!

 だから
 夜が明けるのを
 歯を食いしばって
 待ちましょう

 頑張っている人にがんばってっていうのは
 ほんとにつらいけど
 わたしたちは日本にいないので
 このメーセージを友達の「ちさ」に託します。

 わたしたちも
 そして
 メキシコのみんなも
 日本のことが
 いつも心の中にあることを忘れないでください」



温かいメッセージ、思い! 日本人しかと受け取りました。

世界の人々の心が一つとなる時、
私たちは、想像もしない大きな勇気と力を得ていくかもしれません。
本当に感謝、感謝です。


また、

震災後、しばらく連絡を取っていなかった
大学時代の先輩から、メールをいただきました。

その先輩は、
私が死んでいるのではないかと本気で心配してくれていました。

その一部です。


「バカヤロ…さっさと言えよ…いろいろと大変だったな…

 俺もオマエと話したいことがあるよ…いろいろと…

 どれだけ掛かるか判らないけど、穏やかな日常が戻ったら
 今度は逢ってゆっくり飲みながらでも話そうな(笑)…

 まぁ何よりも今の事態が好転しないとな…。

 不謹慎な言い方だけど、このピンチを楽しめ!!
 ちっぽけな自分一人の力ではどうにもならないことばかりだろうけど…、
 周りの悲惨さにうちひしがれても…
 そんなときテメェでテメェに酔いしれれば気合いが入る…

 俺がやらねば誰がやる!って(笑)そういうの得意だろ!!(爆)

 頑張れよ」


先輩・・・、無許可でメール載せてしまってすみません(汗)



そして、冒頭にご紹介したのが、
私のブログ記事を紹介して下さったブロガーの一人、
ミリわんさんの力強い言葉です!


その他にも多くの方に、記事を紹介いただき、
ありがとうございました。
また、応援メールやコメントを送っていただいた方々、
本当にありがとうございます(^^)



被災地では、だんだんとニーズや課題、問題が変化してきています。

次回は、私が直に見て聞いてきた被災地の現状と課題について、
私なりの視点でお話しできればと思っています。

「東日本大震災が起こったあの日」のお話もとりあえず、
次回で最終回とします。

今後は、振り返るのではなく、
前に行くために、私たちは進んでいくべきでしょう。




足元を見ながら遠くを見据えて、
三歩進んで二歩下がりつつも、
希望を描き、笑顔を携えながら行進しましょう!

知られざる果てしなき未知の未来に向かって。



最後に・・・、枝野官房長官からどうぞ。







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カテゴリ: 東日本大震災が起こったあの日、私は・・・

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東日本大震災が起こったあの日 【5】 


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「 地球最悪の地震が
  世界で一番準備され訓練された国を襲った。
  その力や政府が試される。犠牲は出たが、
  他の国ではこんなに正しい行動はとれないだろう。
  日本人は文化的に感情を抑制する力がある。   」


                   BBCの報道より



現在も仙台市では、毎日、自衛隊や救助、援助隊のの車両が通り、
ヘリコプターが上空を休むことなく行き来しています。

今回の大震災では、苦しく悲しい出来事が数多くの人々を襲いました。
その影響は、東北に留まらず、関東にまで大きな影響を及ぼしています。

これはもはや、
日本の運命を左右する事態と言っても言い過ぎではないと思われます。

そしていま、日本人ひとりひとりが少しづつ大切なものに気付き、
人それぞれが、その人にしか感じられない
ショックや悲しみ、感動を感じています。

東北関東大震災を通じて、
悲しく、心を締め付けられる報道、記事が多くある中、
同時に私は、「日本人の素晴らしさ」を感じずにはいられませんでした。

以下は、Twitterからの引用です。

これは多くの日本人の心の温かさ、見えない絆、
日本人の無心の行動の記録でもあります。



【外国人から見た日本人】

外国人から見た地震災害の反応。物が散乱しているスーパーで、
落ちているものを律儀に拾い、
そして列に黙って並んでお金を払って買い物をする。
運転再開した電車で混んでるのに妊婦に席を譲るお年寄り。
この光景を見て外国人は絶句したようだ。本当だろう、この話。すごいよ日本。


【パン屋】

昨日の夜中、大学から徒歩で帰宅する道すがら、
とっくに閉店したパン屋のおばちゃんが無料でパン配給していた。
こんな喧噪のなかでも自分にできること見つけて実践している人に感動。
心温まった。東京も捨てたもんじゃないな。


【ドイツ人の友達】

ドイツ人の友達が地震が起きた時に渋谷に居て、
パニックになっていた所を日本人に助けてもらったらしく、
その時の毅然とした日本人の態度や足並み乱さずに店の外に出てやるべきことを
淡々とこなす姿にひどく感動し、まるでアーミーのようだったと言っていた。


【ローマから】

ローマにいる友達からメール。ローマの人々はニュースを見ながら
このような状況でも冷静に対処する日本人に感動し、
尊敬の念を覚えながら、非常に心配しているとのことです。


【御殿場で】

実際日本すごいよ。昨日信号が一カ所も機能していない御殿場市でも
お互いにドライバー同士譲り合ってたし、
地元のおじいちゃんおばあちゃんが手信号やってくれてたりで、
混乱もなく本当感動した。
9時間運転してたけど
前車を煽るようなドライバーはもちろんいなかったし、みんな譲り合い精神。


【日本ってすごい】

日本って凄い。官僚も民間も、皆で助けようとしてる。
トラックの運転手も有志で物資運んでるらしいし、
東北の交通整備をヤクザさんがやってるという話も聞いた。
最近、日本に対して誇りを持てないことが続いていたけれど、そんなことない。
日本は凄い国だ。素直に感動してる。日本国の皆さん頑張ろう!


【ディズニーランドでの出来事】

ディズニーランドでは、ショップのお菓子なども配給された。
ちょっと派手目な女子高生たちが
必要以上にたくさんもらってて「何だ?」って一瞬思ったけど、
その後その子たちが、避難所の子供たちにお菓子を配っていたところ見て感動。
子供連れは動けない状況だったから、本当にありがたい心配りだった


【段ボールに感動】

ホームで待ちくたびれていたら、
ホームレスの人達が寒いから敷けって段ボールをくれた。
いつも私達は横目で流してるのに。あたたかいです。


私が実際、体験してきたことの中では・・・、


震災があって3,4日した時、
ある生協の店員が、

「この灯油を皆さんで使ってください!
 無料です!
 これは私の独断です。首になるかもしれませんが。
 どうぞ使ってください。」


と言って、燃料が全くなくなった人々に
生協に備蓄されていた灯油を配給していました。

その後の彼が心配ですが、
勇気ある、独断です。


私の職場である老人福祉施設の食料が少なくなり、
危機的な状態に陥った時、
私はやっととれた休日に、たまたま生協の
食材搬送のためのトラックを見つけ、
食料はありませんか、と声をかけ事情を話しました。

すると、

「そうですか・・・これを持っていってください! どうぞ」

と笑顔で、冷凍食品数十食分、野菜、果物などを多量に
無償でいただいたのです。


感動し、言葉もありません。
私にとって、その御恩は生涯忘れられません。


ある時は・・・、

ある日、私が一人で家にいると、
3人の小学生が突然たずねてきました。

その一人が、

「安否確認のため、皆さんの家を回って、
 お菓子を配っています。
 大丈夫でしたか?」


と言っています。
左手には、たった一袋のかりんとうを持ち、
小さい右手には、かりんとうを2本持っています。
雪まじりの冷たい風の中、家の玄関の前に立っていたのです。

食料が不足している中、たった一袋のかりんとうを持ち、
小学生が、自分たちで食べることもせず、
一人暮らしや高齢者のために町内を回っているかと思うと、
感極まって涙があふれてきました。


私は、逆に自分の家にあるキャンディーとスナック菓子を渡し、

「気をつけて、がんばってね!」

と声をかけて別れました。


小学生でさえ、自分にできることを実行している!

自分にできることはなにか?
そう強く自分に問い正さざるを得ない体験でした。


このほかにも、命を落とし外国人を救った日本人、
全く知らない他人を命がけで救った日本人、
より困っている人のことを配慮して行動している日本人。

様々な感動的なエピソードを聞いて、見て、体験してきました。


私たちは、自分でさえ知らない凄い力を持ち、
今この時、日本中、世界中のどこかで、
誰かが命がけで闘っています。

この日本人の力、心、勇気、行動力があれば、
時間がかかっても、決して立ち止まらない。
時に振り返ることがあっても、後戻りはしない。
そう信じています。



PS:ウチの飼い犬は、小学生が持ってきたかりんとうめがけて、
   何度もアタックしていました。
   大型犬なので、小学生はかなりおびえていました。
   ごめんね、小学生よ、不謹慎犬で・・・。
   この場を借りて、謝罪します(汗)



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東日本大震災が起こったあの日 【4】 


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「 遺体を確かめなければ、
   心の整理が付かない。
    母が亡くなったということが
      現実とは、信じられない 」




東北関東大震災、大津波の被害から5,6日も過ぎると、
徐々にライフラインが回復して来ます。
いちばん最初に回復してきたのが、電気です。
その次に、水道が徐々に回復してきました。

しかし、ガスの供給はストップしたまま、
ガソリン、灯油の入手が困難な状況が続きます。

街のスーパーや個人商店も、
不定期ではあるものの、
時間限定で開店する様子が見られてきました。

老人福祉施設にも、自治体から、
また地域住民から、救援物資をいただき、
あるいは、独自に調達が可能となってきました。

しかし、それは被害の比較的少ない地域での話。

沿岸部の街は跡かたもなく、
住んでいる街、ふる里が瓦礫と泥に覆われた
荒野に姿を変えていました。

私の職場でも、
5,6日経っても、家族と連絡が付かない、
行方が分からない。

そんな状態で、痛みを抱えながら、
目の前の高齢者のために懸命に働く姿が、
いたたまれなく、かける言葉も難しい状況でした。


同僚のある若い女性職員は、母が未だに行方不明・・・。

津波があ襲ったその時、
宮城県のある沿岸部の町を車で移動していたことは突き止めました。

彼女の父親が、すぐにその町へ向かい、
避難所を回り、聞き取りをして懸命に捜索しましたが、
その足取りはつかめません。

ただ見つかったのが、
無残にも朽ち果てた、彼女の母親が乗っていた車だけでした。

中には、母親の姿はなく、
津波が襲ったその時、何が起こったのか・・・
想像だけが、彼女の心を締め付けます。



私の知り合いの解体業者の方が、
緊急援助部隊の一員として、
被害の甚大な地域で働いています。

その方が曰く、

「原子爆弾が落ちたのと同じ・・・、地獄を見てきました」

暗い表情で、語ってきました。

瓦礫や壊れかけた家屋、建造物を撤去するのが彼の役目なのですが、
撤去を進めていく内に、
偶然、変わり果てた遺体を発見してしまうそうです。
ひどいと、その原型をとどめていないこともあるそうです。

その惨状は、現地にいるにも関わらず、
私の想像をはるかに超えていました。


ある、援助活動の様子です↓





この瓦礫の中から、行方不明者を探すことは容易ではありません。

そして、


未だにその瓦礫の下で、
見つけてくれる家族を待って、
眠ったままの大切な人々が数多くいることを知りました。


それでも私の同僚である彼女は、
今日、他の家族とともに現地に向かっていきました。

私は彼女にどう声をかけていいのか迷いましたが、

「どこかの避難所にいて、連絡が取れないだけかもしれない」

そう声をかけました。

彼女は、

「遺体を確かめなければ、心の整理が付かない。
 母が亡くなったということが現実とは、信じられない。
 遺体もなく、遺品もない状態では、とても母を供養できません。
 なんでもいい、せめて、母の形見になるものがほしい・・・。」


彼女は目に涙を浮かべて、ある覚悟を持って現地に向かっていきました。


生き残った私たちは、
生き残った意味、役割を噛みしめて生きていきたい。

生きようとして、生きていけなかった、
多くの愛する人たちの聞こえない声に耳を澄ませたい。




地震による混乱は留まることを知りません。

放射性物質、電力問題、地域の孤立、食料、水、ガソリン不足、メンタルケア・・・

ささやかなことでも、私たちにできることをしていきたい。


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次回に続きます。



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東日本大震災が起こったあの日 【3】 


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「 暗すぎて今まで見たことないくらい
   星が綺麗だよ
    仙台のみんな、上を向くんだ 」


                    Twitterより



私の職場である特別養護老人ホームには、
被災した時、ライフラインが断たれた時のため、
食料と水、炊き出しをするための機材などが、
備蓄されていました。

近隣の住民が一部避難を求めてきた時のためにも、
準備をしていました。

しかし、

今回のこの地震は私たちの想像をはるかに超えていたのです。

食料も水もせいぜい3、4日分ほどしかありません。
ストーブに使用する灯油も多くは備蓄していません。

施設には、130人の利用者がいて、
働いているスタッフの食料、水も考えなくてはなりません。

ざっと150人以上の食料を提供していかなくてはならず、
その食料を外部からすぐに調達するのは、極めて困難でした。
また、どこからも救援物資が届きません。


施設では、まず食料をできるだけ長く持たせるために、
一日2食とし、水も生命を維持できるギリギリの摂取量で
提供していくことを選択しなければなりませんでした。

1食が小さな紙コップにわずかなお粥と
その上に非常食のおかずを載せたものです。

暖房も電気の明かりもなく、
皆、空腹と寒さ、不安に耐えていました。

施設利用者の中には、障害を抱えている方、
認知症の方も多くいます。

認知症の方の中には、
地震が起こってすぐに、あの大地震のことなど
すっかり忘れてしまっている方も多くいました。

そんな方の中には、

「なんでこれしかご飯を出さないの!どうなっているの!」
「どうして水がないの?」


と怒りだしたり、不穏になる利用者の方も
何人かいました。

私たち職員も、返す言葉に困ってしまいます。


3日も過ぎると、
ガソリン不足も深刻になってきます。

職員は9割以上、自家用車で通勤しています。
このままだと、少なくとも遠方の職員は出勤できなくなります。

しかし、

どこのガソリンスタンドも営業していません。
たまにスタンドが開くと、1キロ以上の車の列ができ、
12時間以上並んでわずか20リッターしか
手に入らない状況です。
ひどいと、何時間も並んで、「売り切れました」と言われ、
購入できない人もいます。

食料も同様で、
小さなスーパーには何時間も前から、
何百人も並んで、パン1個とバナナ数本しか
手に入らなかった、といった状態です。

真冬並みの寒さの中、
その異常な街の光景は、
よけいに住民の不安をあおっていきます。

明日の食料、水、燃料を手に入れるために、
皆できることは何でもしていきました。



沿岸部の被災地では、もっと過酷です。

逆さになった壊れた車から
穴を開けてガソリンを抜き出しました。

流され倒壊した家屋の中から、
泥だらけの食べ物を見つけ、
洗って皆の食料にしています。


そんな時、

電気の明かりが全くないある夜、
私はふと空を見上げました。
今まで空を見上げる心の余裕がなかったのですが、

天を仰いだとき・・・

満天の星が漆黒の闇の中、信じられないほど輝いていました。

天空の真ん中には、オリオン座が仙台を見下ろしていました。
何の明かりもない、真っ暗闇の仙台を頭上から
静かに、力強く見下ろしていました。
これほどキレイな星空は見たことがありません。


「 暗すぎて今まで見たことないくらい
   星がきれいだよ
    仙台のみんな、上を向くんだ 」

                    Twitterより



被災された多くの皆さん、
救援の手を差し伸べてくれた多くの皆さん、
共に上を向いて進んでいこう!

何があろうとも、進んでいくことでしか。
これからの人生は切り開いていけない。


ここで、日刊スポーツより記事を紹介します↓


黙って大阪におられへん! 大阪市内で移動型自転車修理店「新北島サイクル」を営む衛藤典雄さん(66)が19日、小型車で約16時間かけ、避難所となっている仙台市若林区の七郷小学校まで到着した。さっそく無料で自転車やバイクのパンク修理、車いすの修理を引き受け、被災者たちを元気づけた。

 いてもたってもいられなかった。大阪から徹夜で運転し、1人で仙台に駆けつけた。衛藤さんは、約1200人の被災者が身を寄せる七郷小学校に到着すると、車から修理道具を取り出し、通りがかる人々に次々と声をかけ始めた。

 「大阪からパンクの修理にきたで~。自転車おかしかったら、持っておいでや~。大阪やって皆のこと応援してるんやで~」。

 衛藤さんは18日に地元警察署で緊急車両の許可証をもらい、夜10時半に大阪市住之江区の自宅を出発。夜通しで北陸道を新潟まで北上。その後は一般道で山形を経由し、19日午後2時半に仙台に到着した。「家族は少し心配していたけど、テレビで報道を見ていて、助けにいかなきゃと思った。大阪を出てから一睡もしてないけど、大丈夫や」。

 ガス欠を心配し、高速道路ではサービスエリアを通るたびに給油を繰り返した。その数10回。食事もおにぎり2個だけで、ひたすら走り続けた。到着後、校内放送で修理車の到着が伝えられ、パンクした自転車を持った被災者が次々と姿を見せた。「夜も車で寝るから大丈夫。皆には迷惑はかけへんで」と笑った。

 衛藤さんは30年ほど前から、大阪で移動自転車修理業を営んできた。自身も阪神大震災の経験者。幸い、大きな被害はなかったが、その時は自転車のパンクで困っている人がいることを知らず、応援に駆けつけることができなかったことをずっと後悔していた。

 「今度同じようなことが起こったら、絶対に助けに行こうと思ってたんや。車いすも壊れていると聞いていたし、介護の人の疲れも限界にきているしな」。

 修理を終えて、被災者からお礼を言われると「将来、あの時大阪からあんなおっちゃん来てたなあって、思い出してくれたらそれでいいんや。みんな頑張るんやで」と、屈託のない笑顔を見せた。衛藤さんは若林区内の被災地を中心にして、今後も25日まで各避難所をできる限り回る。1人でも多くの人のために-。大阪のおっちゃんは真っ黒な手で、休むことなく無償で修理を続けていく。【福岡吉央】

                      3月20日 日刊スポーツ紙面より



私たちは、決して一人ではない。
皆が、一人一人ができることはなにか、
悩みながらも、間違えながらも常に行動していきたい。

みんな! 「大阪のおっちゃん」に続け!



次回に続きます。



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東日本大震災が起こったあの日 【2】 


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「 津波が住宅や畑を飲み込んでいきます!
          大変危険な状況です! 」



津波の恐れがあること、
職場である老人福祉施設に向かうため、
私は西に向かいました。

しかし、道路は体験したことのない大渋滞。
無理もありません。
信号機は全て消え、交通整理をする者もありません。
無法地帯となった大きな交差点では、車がひしめきあい、
非難するため、その交差点を子供や老人も渡っていきます。

非常に危険極まりない状況です。

夜7時ころになると、辺りは真っ暗闇となり、
明りは車のライトだけとなりました。
より危険な状態です。


車窓からは、
二階部分がつぶれてしまった建物、
壁が全て崩れ落ちたアパートなど、
倒壊した建造物が所々に見られます。

暗闇の中どこへ向かうのか、
親に連れられ、泣き叫ぶ子供。

大きな荷物を持って、たった一人で走る若者。

何度も何度も携帯を必死で操作する女性。


町は情報もないまま、多くの人と車で混乱していました。

走行中は車載のワンセグテレビを見ていましたが、
信じられない情報が次々と入ってきます。

その時、私が実際見ていた映像です↓




「・・・・・・・・・・・・」

あまりの映像の凄まじさにこの世の出来事とは思えませんでした。

なんとか、18キロ離れた職場に着くと
すでに出発してから5時間が経過していました。

老人福祉施設は完全に漆黒の闇に包まれ、
広い駐車場に駆け付けた職員の車のライトだけが、
場違いのようにギラギラと闇を横切っています。

すぐに自分の部署に辿りつくと、
日中勤務の同僚たちが、全て残って対応に追われていました。
すでに、夜9時を回っていました。

施設は、電気、水道、ガス、通信、全ての機能が失われていました。

一部、職員の家族も避難して来ていて、
食堂として使われているホールに予備の布団を敷き、
肩を寄せ合っています。
明りは懐中電灯の明かりだけです。

同僚に状況を聞くと、幸いなことに利用者、勤務者にけが人はなく
建物に大きな損傷はなかったとのこと。
しかし、暖房が全く効かず、かなり冷え込んでいます。
廊下やホールにはわずかなストーブだけがほのかな光を放っていました。

私は、コンビニエンスストアでとっさに購入した、
食料とお茶などの飲料水を夜勤者に手渡しました。

しばらくすると、
主任が来て、嬉しそうに駆け寄ってきます。

「おお! 来てくれたんだ。ありがとう。」

皆、情報の面でも孤立しており、外で何が起きているか分からず、
目の前の高齢者のために飲まず食わずで必死ではたらいていました。

テレビもなく、通信手段も全て絶たれ、
私がテレビで見た映像のことを話すと、
皆言葉を失っていました。

その後、スタッフが集まって、今後のとりあえずの対策を立てます。
明日からの困難な状況のために、夜勤者を残し、
全てのスタッフが帰宅しました。


本当の困難は次の日から始まりました・・・。



ここで、産経新聞より記事を紹介します↓

「苦しいけど 負けないで! 名取市職員 S」。東日本大震災で大津波が押し寄せた宮城県名取市の市役所玄関ガラスにこんなメッセージが書かれた紙が張り付けてある。書いたのは名取市職員、西城卓哉さん(30)。津波で最愛の妻、由里子さん(28)が行方不明になり、8カ月の長男、直人くんを失った。自分と同じくかけがえのない家族を失った人たちは多い。それでも精いっぱい生きてほしい-。そんな思いを込めたという。

 3月11日。激しい揺れを感じた西城さんはすぐに、職場から由里子さんの携帯電話を鳴らした。一瞬つながったが声を聴けず、途切れた。すぐに市役所は地震で大混乱、職員としてさまざまな対応に追われ、気が付くと12日未明になっていた。ようやく自宅マンションへ戻ると、エレベーターは止まり、泥に足をとられた。部屋に入ると、2人の姿はなかった。近くの由美子さんの実家へ向かった。

 毛布、食料、紙おむつ…。寒さと飢えをしのげるよう紙袋に目一杯詰め込んで、必死に歩いた。「あとは、2人を見つけるだけ」。しかし、周辺に原形をとどめる家はほどんどなく、がれきの山だ。ひょっとしたら、がれきの下敷きになっているかも知れない…。由美子さんの実家を目指しながら、一晩中捜した。しかし、実家も建物はなくなっていた。

 翌日夜、由里子さんの母親とようやく出会えた。自衛隊のヘリコプターに救出されたのだという。憔悴しきった義母は「2人とも流された。どこにも姿がないの…」という。絶望的な気持ちになったが、わずかな望みを信じ捜索を続けた。

 しかし、直人くんとみられる遺体が安置所にあると聞き、15日夜、身元を確認した。「肌着も服もよだれかけも、妻が好んで着せる組み合わせだった」。安置所で死亡届を出すと居合わせた同僚職員が泣き崩れた。

 職場の後輩だった由里子さんと出会ったのは3年前。「誠実で信頼できる人」と一目で直感し、6月14日の由里子さんの誕生日にプロポーズした。昨年7月には直人くんが生まれた。幸せだった。デジタルカメラには、3人で迎えた最初のクリスマスの写真が保存してある。今年2月に撮影した1枚は3人で写った最後の写真。眺めていると、さまざまな思い出があふれてくる。

 それでも西城さんはメッセージを書いて、市役所玄関ガラスに貼り付けた。

『 最愛の妻と生まれたばかりの一人息子を大津波で失いました。

  いつまでも二人にとって誇れる夫、父親であり続けられるよう

  精一杯生きます。

  被災されたみなさん。

  苦しいけど

  負けないで!

                        名取市職員 S 』

                     3月17日 産経新聞記事より



死亡が確認された人数はすでに6900人以上。
被災地では、今も10000人以上が行方不明となっています。



次回に続きます。



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カテゴリ: 東日本大震災が起こったあの日、私は・・・

テーマ: 東北地方太平洋沖地震~The 2011 off the Pacific coa~ - ジャンル: その他

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