消費者金融と銀行
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  ●●● ~忘れられない名言~ 感動映像 ●●●

あなたさえも知らない、本当の自分と未来に出会うために、
時に雨に打たれながら、時に星空を見上げながら、歩いていこう・・・
そんなあなたを見て、必ずその後について来る人がいるから。
その後に、誰も知らなかった新しい道ができているから。



■ これまでの「名言感動映像」はこちらです。
■ 管理人の仙台での「東日本大震災」の体験記はこちらです。
■ ブログ『はっぱの笑子らいふ(はっぱのえこらいふ)』さんの
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敵に向かって逃げろ! 


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「 老武士のため、
   伊吹山の大山を越え難し。
    たとえ討たれるといえども、
     敵に向かって死すべしと思う 」


                     島津 義弘

■島津義弘:薩摩国の戦国大名。九州一の猛将。島津氏、第17代目当主。
      兄義久とともに各地を転戦、特に武功において島津氏勢力拡大に
      大きく貢献した。関ヶ原の戦いでは、前代未聞の撤退戦を実行。
      諸大名に畏敬された。




慶長5年(1600年)、徳川家康が上杉景勝を討つために軍を起こします。
関ヶ原の戦いの発端です。


島津義弘は徳川家康の要請を受け、京都の伏見城に孤軍籠城している、
東軍(徳川軍)、鳥居元忠の援軍として、1000名の軍勢で駆けつけます。

しかし、何の連絡トラブルか、
連絡を受けていないとして、入城を拒否されてしまいます。

その間の出来事は、諸説あれ、
島津義弘軍は、西軍に味方することになります。


関ヶ原に布陣すると、
数時間後、戦況は西軍の裏切りが発端となり、劣勢へと追い込まれます。

そのうち、西軍は総崩れの様相を呈してきます。

自軍の周りにいた西軍各将が崩れていくと、
島津隊は退路を遮断され、敵中に孤立することになってしまいます。

この時、島津義弘は甥の島津豊久の進言もあって、
その進退を決意することになります。


「 老武士のため、 伊吹山の大山を越え難し。
  たとえ討たれるといえども、 敵に向かって死すべしと思う 」



島津義弘は、前代未聞の撤退戦に挑みます。

敵に背を向けて撤退するのではなく、
前線だけで数万、総勢二十万を超える軍勢の中央を突破し、
撤退する作戦に出るのです!


わずか1000名の軍勢は徳川軍の中央を果敢な勢いで進み始めます。
この時の陣形、戦法は「捨てがまり」と言われ、
自軍の犠牲を前提にした、壮絶な陣形を取ります。

東軍は島津義弘の信じられない行動に一瞬あっけにとられます。

しかし、すぐに前衛いた勇猛で知られた福島正則隊と衝突します。

しかし、

その死を覚悟しながらも撤退する意思を持った、あまりにすさまじい戦いぶりに、
戦う愚かさをを悟った福島正則は、家臣に戦うことを禁じたと言われています。


その後、島津義弘本人は無事に薩摩本国に帰還します。
1000人いた島津軍は80人ほどになってしまっていたと伝えられています。

その果敢な戦いぶりは、すぐに全国に轟きます。


関ヶ原の戦いの戦後処理において、
島津家は、領地を安堵されました。

色々と理由はありますが、
島津義弘や軍備が健在の、島津家を敵に回すことを嫌った、
徳川家康の最終的な判断のようです。

その判断の結果、徳川家は250年後に、
島津家(薩摩藩)にその存在を脅かされることになります。



なにか、目前に大きな窮地が訪れた時、
大きな判断を迫られた時、

目前の課題、難題を回避することも英断と言えるでしょう。

ですが、

敵に背を向けて逃げることが、
最善と言えるとは限らないこともあります。

あなたが逃げていく方角には、
あなたが後悔し、誰かが悲しむことはありませんか?

あなたが逃げていく方角には、
本当に未来がありますか?

逃げていく方向には、
もっと愛することができる何かがありますか?


人生にはそんな判断を迫られる時があります。
それは次の人生を生みだしていく、大きな分かれ道でもあります。

どうせ逃げるなら、勇気を持って、
未来と誇りのある方向へ決死の覚悟で逃げましょう。
敵のど真ん中を逃げてやりましょう。


最も困難で、誰も進まない方向に、
最も幸運な未開の道が続くこともあるでしょう。


目前に迫る難題、窮地にあえて立ち向かうことで、
撤退を成功させ、島津家を守った島津義弘。

その行動は、250年の時を超えて、薩摩藩の歴史・・・
また結果として日本の歴史に影響を与えたと言っても過言ではないでしょう。

ちょっと言いすぎでしょうか^^)
 



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カテゴリ: 島津義弘

テーマ: 歴史上の人物 - ジャンル: 学問・文化・芸術

不思議な体験・・・こんな経験ありますか? 信じられますか? 


ブログ使用画像


今回は名言のご紹介ではありません。

私が実際に体験した、不思議な出来事についてお話しします・・・。


この度、私は、とても古かった自宅を取り壊し、
建て替えをするために、現在無人となっていた親戚の家に
入居させていただいているのですが、

今まで住んでいた古い住居において、
とても不思議な、ある意味とても怖い体験をしました。

今まで住んでいた家は、聞いた話によると、
戦後すぐに建てられた平屋で、
複数の家族が受け継いで住んでいて、
私が住む直前は、老夫婦が下宿を兼ねて住んでいたりしたそうです。
最期は高齢のご婦人が住んでいて、お花の先生だったそうです。

築年数はざっと60年くらいでしょうか。
それ以上かもしれません。

床が腐ってきたり、
害虫に侵されたり、
耐震構造にも大変問題を抱えていたり、

ひどい状態だったので、
今回家を建て替えする決心をしたのですが・・・


その家には8年近く住んでいました。


当時、私の祖父が古い家と土地を買い上げ、
孫の長男である私に住まないかと、言ってくれました。
当時の私には一緒に住む家族がいて、
祖父の好意に甘えて、妻と二人で移り住みました。

とても古い家だったのですが、
自分の家を持てたような気分になり、嬉しかったのを憶えています。


住んでしばらくすると・・・

夜や明け方に家の玄関から廊下にかけて進むように、
ミシミシと音がするのです。

私も確かに聞きましたし、
当時の妻も、何回か聞こえたと話していました。

その音はゆっくりと移動して、
ふっと音が消えます。

最初は、木造建築によくある急激な温度変化などで起こる、
木材のきしむ音だと思っていました。

そうに違いないと思っていました。

引っ越してから、一か月以上たって・・・

ある夜、ふと目が覚めました。
はっきりと目が覚めました。

また、そのきしむ音が玄関の方から、
だんだん近づいて来るのを感じました。

その音があまりにはっきりとしており、
人が廊下をゆっくり歩いてくる音にしか聞こえませんでした。

そこで、私は、

「泥棒が入った?!」

と思い、本気で、
とっ捕まえてやる。
不届きな奴だと、怒りを露わにして、
布団のすぐそばにあった、懐中電灯を取ろうとしたその瞬間。

突然、体に電気が走ったようになり、
寝たまま全く体が動かなくなりました。

目だけは見えるのですが、
横になったまま、全く体が動きません。

「え・・・なんで!?」

その時は、状況がつかめず、混乱し困惑しました。
どんなにもがいても、1㎝も体を動かせません。

人の足音のようなきしむ音は、廊下を進んできます。
だんだん私の寝ている寝室に近寄ってきます。

すると、その音は、
通路がないのにも関わらず、
部屋の壁を無視して室内に入ってきたのです。

その時、初めて悟りました。

「これは泥棒じゃない・・・!」

私は、恐怖に震えたのを憶えています。

ミシ・・ミシ・・ミシ・・・

その音は、動くことができない私の足もとを通り抜けると、
寝室の奥にある棚の方に入って行きました。
すると、ふっと音が消えたのです。

私は天井が見えていたのですが、
視線も動かすことができず、
その音の方を見ることはできませんでしたが、
明らかに一直線に進んできました。

しばらく、私は恐怖に体を震わせていましたが、
いつの間にか意識が遠くなり、再び眠って?しまったようです。


後で、話を聞いてわかったことなのですが・・・、


ちょうど、音が消えていった寝室にしていた部屋の棚には、
かつて、最後にこの家に暮らしていた
お花の先生の旦那さんの仏壇があった場所だったそうです。


それを聞き、ぞっとしたと同時に、

亡くなってなお、自分の幸せだった居場所を大切に思っていた気持ちが、
そういった出来事を呼んだのか・・・、と思うと、
恐怖とともに感動も感じずにはいられませんでした。



地球ができてから、現在までの年数を
東京~大阪間の距離にすると、
人類が誕生してから現在までの距離は、

なんと、東京から数メートルしかないそうです。

その人類が生み出した科学の力は、
まだまだ解明できないことの方が多くありそうです。

亡くなった人の思い、喜び、無念・・・

そういった心のエネルギー、力は、
私たち人類の科学や想像を超えて、存在するように思えてなりません。



その後、その家では・・・

パッタリ、その足音のようなきしむ音は聞こえなくなりました。

これがまた、不思議なことでもあります。


今回は、少し怖いお話をして申し訳ありません^^;
苦手な方がいたら、すみません。



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カテゴリ: 言蔵の恐怖体験

テーマ: オカルト的 - ジャンル:

たとえば10年後、20年後、あなたは何をしていますか? 



アンジェラ・アキ「手紙」 投稿者 rapidstyle




「 人生の全てに意味があるから
      恐れずにあなたの夢を育てて 」



              アンジェラ・アキ 『手紙 ~拝啓 十五の君へ~』


■アンジェラ・アキ:シンガーソングライター。ジャズピアニスト。
          2004年9月、シングル「NOME」でメジャーデビュー。
          同曲で、、第57回NHK紅白歌合戦に初出場。
          第75回NHK全国学校音楽コンクール中学生の部課題曲に
          「手紙~拝啓 十五の君へ~」を提供。多くの共感を呼ぶ。
          徳島弁で話し、眼鏡は伊達眼鏡。

■歌詞全文はこちらです→アンジェラ・アキ『手紙 ~拝啓 十五の君へ~』の歌詞



もし、あなたが今何かに悩んでいるとしたら、
それはどんな悩みですか?

その悩みは、今の自分にとってどんな意味がありますか?

悩んでいる・・・、その時は悩むこと自体に意味など見出せないでしょう。

ただ苦しいだけ、
ただ立ち止まるだけ、
ただ何かにぶつかるだけ、
たださ迷うだけ、

ですが、

あなたが、少しだけ、
あるいはとても時を重ねた時、

そう、多くの苦難や悩みと出会い、時を重ねた時、
多くの人と出会い、人や心のことを学んだ時、
とても大変な大きなモノを背負わなければならない経験をした時、

その苦しみが、何かを気付かせてくれるときがあります。
なにかを感じさせてくれる時があります。

過去に背負った苦しみを経験に変えた時、
本当の経験という意味を知るかもしれません。


10年前、20年前・・・、
あなたが悩んでいた、苦しんでいた、
あのことはどうなりましたか?

あなたを苦しめ続けていますか?
あなたを立ち止まらせていますか?

本当に苦しんだ時、
本当に悩んだ時、

人はその経験を、決して水に流して真っ白にはしない。

たとえ、それが誰にも決して言えない経験であったとしても。

そして、
今悩んでいることも、10年後、20年後・・・
どうなっているでしょう。

想像できないかもしれませんが、

あなたが人生を歩むための道標となり、
道となり、線路となり、進んでいくための車輪となっていることでしょう。
道なき道を進んで行くとてつもない力となっているでしょう。


ここで、YouTubeに投稿されていた、印象深いコメントをご紹介します

「涙が溢れて止まりませんでした。こんなに感動したことは今まであ­りません。 ちなみに私には妻と2人の高校生の子供がおり、それなりに一生懸­命生きてきましたが、アンジェラさんは、徳島で日本人とアメリカ­人のご両親の間に生まれ、岡山で育ち、アメリカの大学を出て、結­婚し、離婚し、すごく苦労してこられた。そんな背景がありながら­、アンジェラさんはメジャーになってもなお、とても謙虚で周囲に­はとても優しく、離婚の経験も自ら告白し、そして再婚して、すご­く努力して生きておられる。 こういう努力をされているからこそ、こんなに感動的な音楽が生ま­れるのだと思います。(アンジェラさんの音楽は、苦労が多い人ほ­ど感動するような気がします。) アンジェラさん、尊敬しています。決して行き急ぐことなく、末永­く良い音楽を作り、歌ってください。応援しています。」

kh001000さんのコメントより。


私も、最も悩んでいる時期にこの曲と出逢いました。
この曲から受けた気付きは、私にとって大きな財産となっています。

「人生の全てに意味があるから 恐れずにあなたの夢を育てて」

あなたが喜ぶこと、うれしいと思うこと、
苦しいこと、とてもつらいこと・・・、

そのすべてに間違いなく意味があります。
その意味を受け止めて、あなただけの未来を歩んでいきましょう。
そして、あなただけの答えを見つけていきましょう。


10年後、20年後・・・

必ず良かったと思える自分を、今信じて・・・




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カテゴリ: アンジェラ・アキ

テーマ: 生きること - ジャンル: 心と身体

この世に客として来た・・・ 


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「 仁に過ぎれば弱くなる。
  義に過ぎれば固くなる。
  礼に過ぎれば諂いとなる。
  智に過ぎれば嘘をつく。
  信に過ぎれば損をする。

  気ながく心穏やかにして、
  この世に客に来たと思えば何の苦もなし。

  朝夕の食事は、うまからずとも誉めて食うべし。
  元来、客の身なれば好き嫌いは申されまい。
   
  今日行くをおくり、子孫兄弟に良く挨拶して、
  娑婆の御暇申すがよし。           」

                    
                     伊達 政宗 (伊達政宗公遺訓)


■伊達政宗:奥州の戦国大名。陸奥仙台藩の初代藩主。奥州の覇者。
      父輝宗から家督を継ぐと、またたく間に奥州に威を敷く。
      豊臣秀吉、徳川家康の政権下を、知略と戦略、外交力で生き抜いた。
      その隻眼の容姿と実力から「独眼竜」の名で諸大名に畏敬された。



伊達政宗が遺訓として遺している言葉です。

「仁」「義」「礼」「智」「信」とは儒教で恒常不変の真理の意味を表し、
当時の武士の心構えとして、大切なものとされていました。

しかし、

政宗はその大切とされている考え方だけに、
強くとらわれて生きていくことは、
生き方の自由を奪い、窮屈になってしまうと語っています。

そこには、もっと自由に素直に、全てを見渡して、
自分に大切な物は何か、気付かなくてはいけない。
そういった、戦国を生き抜いた英傑の
ありのままの気持ちが語られているようにも思うのです。


私なりに伊達政宗公遺訓を、わかりやすく現代語に訳すと、
こんな感じになります。

『 人を大切に思うことは大切だが、行き過ぎると
  他人のためにも、自分のためにもならない。

  正義やすじを通すことは大切だが、そればかりに縛られると、
  物事に柔軟に対応できず、融通が利かなくなる。

  礼を尽くすことは大事だが、礼にばかり気を使うこと、
  また行き過ぎた礼は相手に対して逆に失礼で厭味になる。

  頭でっかちになり、机上の知恵を信じていると、
  結果として嘘をついたり、策に溺れることになる。

  何でもかんでも、他人の言うことを信じ、
  それに振り回されていると、損をしていまうことがある。

  もっと気分を楽に持って、素直になって、穏やかにし、
  この世にお客さんとして来た気持ちになれば、
  何も苦しいこともない。
  人は生まれることで初めて、この世に生きているのであり、
  死ぬことでこの世とは別れて、再び旅立つからだ。
  つまり、この世にお客さんとして来たことになる。

  毎日食べる食事は、粗末であっても、おいしくなくても、
  感謝の気持ちを持って、ありがたくいただくべきである。
  この世にお客さんとして来ているのだから、
  そもそも文句など言えるはずがない。

  間もなく、私はこの世を離れていくが、
  子や孫や兄弟に「ありがとう。おまえたちも頑張れよ。」
  と声をかけて、旅立っていくのが幸せである。      』


かなり、はしょって意訳してしまっていますが、
この遺訓を語ったころは、彼の人物像、生き方、晩年の気持ちを推察すると、
とても落ち着いて、穏やかに過ごされたのではないかと思っています。

この遺訓の意味を、
「何事もほどほどにしなさいね・・・」
と解釈されている方もいるようですが、

私はむしろ、意味的には、

全てが大切であり、
一つのことに凝り固まって、信じすぎて自分を見失うな。
生きていくことを自由に穏やかに捉え、
生かされている、ということを忘れずに生きていくのだ。


という風に感じています。

偉大な戦国大名の含蓄のある言葉。

心にとどめておきたい言葉の一つです。




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カテゴリ: 伊達政宗

テーマ: 歴史上の人物 - ジャンル: 学問・文化・芸術

生きる力が残っている証拠 


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「 人間は、
  生きていく力を全く失ったら自殺しない。
  しようにもできやしない。
  自殺を考えるのは、
  生きる力がまだ十分に残っている証拠である。 」
 
 

                       むのたけじ


■むのたけじ:ジャーナリスト。報知新聞、朝日新聞社を経て、
       1948年秋田県で週刊新聞「たいまつ」を創刊する。
       主に反戦の立場から言論活動を展開。


               

死とは何かかを考える時、
人は何のために生きているのかを考えずに進むことはできません。

人はなぜ自殺するのかを考える時、
人はなぜ生まれてきたのかを考えずに進むことはできません。

しかし、

そいったことにあなたが悩み、苦悩するということは、
自分で生きていくための心の指標を求めているのであり、
それは、生きていきたいと思う見えない力が、
あなたに考える時間を与えているのです。

つまり、

あなたは、生きる為に、生き続けていくために、
死ぬことについて真剣に悩んでいるのです。



万人に例外なく死は平等に訪れます。

それは、
病気によってであったり、
事故によってであったり、
災害によってであったり、
様々です。

しかし、

平等にやってくる命の終わりを決められるのは、
実はあなた自身ではありません。


あなたが自ら不条理の中で命を終わらせない限り、
あなたは事故に会っても、死なないことでしょう。
災難に会っても、天災に会っても死なないことでしょう。
極端にいえば、殺されても死にません。

あなたにはあなたの命をかけて行うべきことが、
命の延長線上に残っているからであり、
その役割は、世界の中のオリジナルである、
あなたにしかできないことだからです。

これは自然界の動植物にも同様のことが言える真実です。
自然界において役割がある限り、その生物は死にません。
ですが、役割が終わる時、
静かにあるいは突然に死が訪れます。

死に向かって、急ぐこともないし、立ち止まることもないのです。

なぜなら、自身には決めることができないものだからです。


そして、

「自殺を考えるのは、
 生きる力がまだ十分に残っている証拠である」


との言葉があるように、
どんな苦境にさらされても、
どんなに苦しい現実に悩もうとも、
自殺したいと思うような辛い出来事が起ころうとも、
これもまた万人に対して平等に、
常に人には生きる為の力が十分に残っている、と言えるのです。

それはどんな状況においても、です。

私は、自分の役割が終わるその瞬間まで、
這ってでも前に進んでいきたいと思っています。

進んでいった先に見えてくるものは・・・

それは人生最後のお楽しみでしょうね。




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カテゴリ: むのたけじ

テーマ: 心に響く言葉・メッセージ - ジャンル: 心と身体

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