消費者金融と銀行
05« 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.»07

【 最新記事と感動映像 】


  ●●● 皆さまにお知らせ ●●●

いつもいつもご訪問ありがとうございます!
更新再開模索しております!お待ちくださいね。
どうかこれからもよろしくお願い致します(^^)
皆さまには感謝。感謝です。


  ●●● 最新記事 ●●●

【 全記事一覧 】

  ●●● ~忘れられない名言~ 感動映像 ●●●

あなたさえも知らない、本当の自分と未来に出会うために、
時に雨に打たれながら、時に星空を見上げながら、歩いていこう・・・
そんなあなたを見て、必ずその後について来る人がいるから。
その後に、誰も知らなかった新しい道ができているから。



■ これまでの「名言感動映像」はこちらです。
■ 管理人の仙台での「東日本大震災」の体験記はこちらです。
■ ブログ『はっぱの笑子らいふ(はっぱのえこらいふ)』さんの
  震災や今後の未来に対する取り組みです。クリック!↓ 心ひとつに キャンドルナイト

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

カテゴリ: スポンサー広告

cm: --
tb: --   

人生の意味 


per_001_convert_20101027111658.jpg


「 意味が見つからないから
    良き人生を送れないのではなく、
       良き人生を送れないからこそ
             意味にすがるのだ 」
                   
                      
                        フリードリヒ・ニーチェ

■フリードリヒ・ニーチェ:ドイツ出身の哲学者、思想家。
        彼は著書の中で神の存在を否定し、
        運命も神も人間の創造物であるに過ぎないと説いた。
        19世紀の当時、神の存在は絶対的な不変の真理と
        考えられていた中、彼の様々な思想は後の哲学者、
        文学者に大きな影響を与えた。



悩みの深さの程度はあれ、
多くの人は生きていく中で、ある考えに立ち止まることがあります。

「自分は何のために生まれてきたんだろう」
「私の人生の意味って何?」

そして、その答えを探し求めていく過程で、
答えが見つからず、進退極ってくると、

「こんな人生なんて無意味だ」
「意味のない、存在価値もない自分は死んでしまったほうがよい」

といった答えを導いてしまうものもいれば、
宗教や思想に助けを求めていく人もいます。

人の生きてきた環境、境遇、それは様々で、
その人が導き出した答えに対して、
正しいとか間違っているとは簡単には誰にも言えません。

ですが・・・

「生きる意味」とは、言わば「人生の答え」ともいえます。
では、生きている途中で、なぜ「答え」がわかるのでしょうか?
そもそも「答え」とは、物事の最後に出る結論であって、
「答え」を知ってから、問題を解こうとする人はいないのです。


人生の意味がわからない・・・

そう思う自分がいたら、確かなことが一つあります。

あなたは「答え」を導き出したいと思っています。
「意味」を知りたいと思っています。
人生の「意味」がわからない、と言っているあなたは、
実は心の奥深くで、生きる強い意志があるからこそ、
「答え」を知りたくなっているのです。


難しいことは、さておいて
生きていきましょう。
人生を自分で選び、自分で判断し、その結果を楽しみにしましょう。

生き切ってみなければ、人間答えはわからないはずです。



★ブログランキングに参加しています★

励みになります! 
クリックしていただければ幸いです。↓


    >>人気ブログランキングへ<<
    >>にほんブログ村ランキングへ<<





【 トップページへ戻ります 】

スポンサーサイト

カテゴリ: フリードリヒ・ニーチェ

テーマ: 心に響く言葉・メッセージ - ジャンル: 心と身体

死の前日、あなたは何を思いますか? 


yuu0090-066_convert_20101031215811.jpg


「 あなたが虚しく過ごした今日という日は、
    昨日死んでいった者が、
      あれほど生きたいと願った明日 」


                         趙 昌仁

■趙昌仁:韓国の作家。代表作として白血病に冒された息子を持つ
     父性愛の物語『カシコギ』が知られている。



人はいつ死ぬかわかりません。

しかし、場合によっては自分が死ぬ時がいつなのか、
わかってしまう場合があります。

重い病気にかかり、死を宣告された時や、
法律に基づいて死刑を執行される時や、
戦争などで軍の命令や義務で自らの命を犠牲にしなければならない時、
などの場合です。

その自らの死の時を知る者は、
死を迎えようとする時、
生きているはずのない明日という一日を、
どう受け止め、どう感じているのでしょうか。

その思いは、私たちの想像の域を超える壮絶なものでしょう。

その人の境遇や死に至る経緯は様々で、一口には言えませんが、
人は生まれた瞬間から、生まれつき死にたいと思って生まれてくる者などいません。

明日の日を迎えられない、死を覚悟した人間でも、
本人も気づかない心の奥深くで、
本当は・・・

「もっと、生きていたい」
「一日でも多く生きていたい」

と願っているのではないかと思ってしまうのです。
そう願わずにいられないのが、人ではないのかと思ってしまうのです。

人は正確に、確実に、生まれた時から一日一日死に近づいています。

しかし、

あなたが生きている二度と来ることのない今日という日が、
どれほど素晴らしく意味があるものなのか。
世界であなたにしか体験できない明日という日が
どれだけの価値と可能性があるものか・・・


私たちは思い直してみる必要があります。

どんなに目の前の現実や未来が、
絶望や困難に満ちて見えても、
人は死ぬために生まれてきたのでもなく、
絶望するために希望や夢を持って生きているのではないと、
信じています。



★ブログランキングに参加しています★

励みになります! 
クリックしていただければ幸いです。↓


    >>人気ブログランキングへ<<
    >>にほんブログ村ランキングへ<<





【 トップページへ戻ります 】

カテゴリ: 趙 昌仁

テーマ: 「生きている」ということ - ジャンル: 心と身体

骨となって一生を終えるのだから 





「 何でも思い切ってやってみることですよ。
   どっちに転んだって人間、野辺の石ころ同様、
      骨となって一生を終えるのだから   」


                         坂本龍馬

■坂本龍馬:土佐藩武士。同藩を脱藩した後、
      薩長同盟の斡旋、大政奉還の成立に尽力。
      倒幕、さらに明治維新に影響を与えた幕末の志士。
      日本人の好きな歴史上の人物で、
      必ずベスト3に入る日本歴史上の好漢。



冷静になって人の生き死にを考えた場合、
まぎれもなく人は「生き物」であり、
自分の周りにある草や木や、虫や動物・・・
それらと何ら変わりもない存在です。

虫の死骸は、他の虫の大切な糧となったり、
木や草花を育てる大地の大切な栄養源となったりします。

その過程で、生きていた虫は、
まさしく「土になる」「大地に帰る」訳です。

人も同様、亡くなれば自然に帰ります。
違う言い方をすれば、科学的に分解されて、素粒子(原子)となり、
自然界のひいては宇宙の自然エネルギーの一部となります。

宗教や文化、思想の違いから、
「死」に対する考え方は様々です。

ですが、

どれだけ「死」を科学的に分析しようとも、
宗教、思想を持って解釈、理解しようとも、
共通した真理があります。

それは、

あなたが死んだ後、
たとえ生まれ変われるとしても、
火葬され炭素の塊となろうとも、
誰かの心の中に生き続けようとも、

今生きているあなたが考えていること、
情熱や思いを持って行動していること、
生きているあなたが呼吸していること、

それらは「死」を境にして
二度と戻ってくることない
かけがいのない「生」の瞬間の連続である、

ということです。

全く同じ瞬間を、科学も大自然も神様も
二度とは再現してはくれないのです。

このことを、
言葉として、理屈として理解している人もいます。
また、経験をもとに「感じる」という形で知っている人もいます。

どちらでも素晴らしいことだと思います。


「野辺の石ころ」となる前に、
「なんでも思いきってやってみる」


強い意思、情熱を持った多くの有能な「生」が
はかなく散っていく幕末の時世を見て、
坂本龍馬は、「生」と「死」を感じることで、
大きな偉業を成し遂げられたのかもしれません。

私たちも心のどこかで、「生」と「死」の意味を感じているからこそ、
彼の生き方が私たちの心を掴んで離さないのかもしれません。

坂本龍馬は、まさにこの秋の頃、
慶応3年(1867年)11月15日に
33歳の若さで命を落としています。




★ブログランキングに参加しています★

励みになります! 
クリックしていただければ幸いです。↓


    >>人気ブログランキングへ<<
    >>にほんブログ村ランキングへ<<





【 トップページへ戻ります 】

カテゴリ: 坂本龍馬・

テーマ: 「生きている」ということ - ジャンル: 心と身体

死んでこそ実を結ぶ 


thumb5_convert_20110112184717.jpg


「 一粒の麦、地に落ちて死なずば、
  唯一つにてあらん、
  もし死なば、多くの実を結ぶべし 」


      イエス・キリスト 聖書『ヨハネによる福音書』12章24節より

■イエス・キリスト:キリスト教の開祖、預言者。ナザレのイエス。
          1世紀にパレスチナのユダヤの地で宗教的活動を展開。
          仏教の開祖釈迦、古代ギリシャの哲人ソクラテス、
          儒教の始祖孔子らと並び、人類に大きな精神的影響を与えた。




たとえ、宗教の信者でなくても、
宗教を開いてきた偉大な人々の言葉には学ぶべきものがたくさんあります。
言わば、名言の宝庫です。

この言葉は、『聖書』からの引用で、
イエスが語ったとして、弟子のひとりヨハネが後の信者のために書き記した
『福音書』という書物に残されているイエスの言葉です。

キリスト教の教えに従えば、厳密には「一粒の麦」とはイエス自身を指しており、
彼が十字架にかけられることによって、
多くの人に愛と永遠の命が与えられるといった解釈がされるようです。

しかし、

言葉を目の前にして、それを受け止めた時、
自分の生きてきた人生、経験、これからの人生に対する思い、
それらに照らし合わせ、シンクロさせて、
純粋にその言葉そのものの意味、重み、広がりを心と体全体で感じていくことが
とても大切であると思います。

よって、、
誰がその言葉を語っているか、
その言葉を語っている人はどういった人物なのか、
それは、その言葉に対する研究や学問の分野になってきます。

その言葉の背景や人物像を探ることは、とても素晴らしい探究心なのですが、
先入観を捨てて言葉と向き合うこともとても大切なことであり、
それが、自分だけの名言と出会う瞬間だと思うのです。


私がこの言葉と出会ったのは、高校生の時でした、
キリスト教的教育を謳っていたプロテスタントの高校に通っていました。
毎週、牧師さんが高校の礼拝堂に来て、
含蓄のあるお話をしてくれました。

しかし、私自身、キリスト教のことはほとんど理解していませんでした。

そんな私が聖書を開いた時、ショックを受けた多くの言葉の中の一つです。

名言のタイトルでは、あえて文語体で表記しましたが、
現代の聖書では、口語体でこう記述されています。

「一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。
 しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。」


これは宗教や文化や国境や年齢や肌の色などを全く障害としない、
今まで聞いたこともない、人類にとって高い次元の名言のように感じ、
カルチャーショックを受けました。

一粒の麦とは、私たち一人一人の思いや努力や命。
自分の精神力や生命力を惜しまず出し切り、
悔いのないやり遂げた最期を迎えた時、
そこには多くの人たちの心に感動や教訓や英知が引き継がれていく。


高校生の時と変わらず、今でも純粋にそういった意味で、
心に刻まれています。

あなたも、
政治家、文学者、詩人、哲学者、職人、宗教家、親、兄弟、子供、友人・・・、
そういった、人間が後から作り上げた枠組みの中で言葉を見ずに、
全てを取り払って、純粋に言葉と向き合った時に、
素晴らしい名言と出会えるかもしれません。
         
          


★ブログランキングに参加しています★

励みになります! 
クリックしていただければ幸いです。↓


    >>人気ブログランキングへ<<
    >>にほんブログ村ランキングへ<<





【 トップページへ戻ります 】

カテゴリ: イエス・キリスト

テーマ: 聖書・キリスト教 - ジャンル: 学問・文化・芸術

生きる力が残っている証拠 


kid0058-009_convert_20110213012015.jpg


「 人間は、
  生きていく力を全く失ったら自殺しない。
  しようにもできやしない。
  自殺を考えるのは、
  生きる力がまだ十分に残っている証拠である。 」
 
 

                       むのたけじ


■むのたけじ:ジャーナリスト。報知新聞、朝日新聞社を経て、
       1948年秋田県で週刊新聞「たいまつ」を創刊する。
       主に反戦の立場から言論活動を展開。


               

死とは何かかを考える時、
人は何のために生きているのかを考えずに進むことはできません。

人はなぜ自殺するのかを考える時、
人はなぜ生まれてきたのかを考えずに進むことはできません。

しかし、

そいったことにあなたが悩み、苦悩するということは、
自分で生きていくための心の指標を求めているのであり、
それは、生きていきたいと思う見えない力が、
あなたに考える時間を与えているのです。

つまり、

あなたは、生きる為に、生き続けていくために、
死ぬことについて真剣に悩んでいるのです。



万人に例外なく死は平等に訪れます。

それは、
病気によってであったり、
事故によってであったり、
災害によってであったり、
様々です。

しかし、

平等にやってくる命の終わりを決められるのは、
実はあなた自身ではありません。


あなたが自ら不条理の中で命を終わらせない限り、
あなたは事故に会っても、死なないことでしょう。
災難に会っても、天災に会っても死なないことでしょう。
極端にいえば、殺されても死にません。

あなたにはあなたの命をかけて行うべきことが、
命の延長線上に残っているからであり、
その役割は、世界の中のオリジナルである、
あなたにしかできないことだからです。

これは自然界の動植物にも同様のことが言える真実です。
自然界において役割がある限り、その生物は死にません。
ですが、役割が終わる時、
静かにあるいは突然に死が訪れます。

死に向かって、急ぐこともないし、立ち止まることもないのです。

なぜなら、自身には決めることができないものだからです。


そして、

「自殺を考えるのは、
 生きる力がまだ十分に残っている証拠である」


との言葉があるように、
どんな苦境にさらされても、
どんなに苦しい現実に悩もうとも、
自殺したいと思うような辛い出来事が起ころうとも、
これもまた万人に対して平等に、
常に人には生きる為の力が十分に残っている、と言えるのです。

それはどんな状況においても、です。

私は、自分の役割が終わるその瞬間まで、
這ってでも前に進んでいきたいと思っています。

進んでいった先に見えてくるものは・・・

それは人生最後のお楽しみでしょうね。




★ブログランキングに参加しています★

励みになります! 
クリックしていただければ幸いです。↓


    >>人気ブログランキングへ<<
    >>にほんブログ村ランキングへ<<





【 トップページへ戻ります 】

カテゴリ: むのたけじ

テーマ: 心に響く言葉・メッセージ - ジャンル: 心と身体

この人は幸せだったのだろうか 


but0048-009_convert_20110601134240.jpg


「 生まれ変わったら、
   また恋をして、また一緒になろうね。
               お父さん 」


                   ある施設利用者の奥様




私の職場は、特別養護老人ホームと言って、
心身共に重度の障害をお持ちの高齢者の方が多く利用されています。

昼夜問わず、そういった方々の生活の援助させていただき、
安全に安心に、豊かな人生を送れるように、
生活面、医療面、精神面をフォローしていくのが役目です。

ですが、

そこには、一般の方が決して触れることのない、
様々な出来事、個人情報が存在しています。

また、時として、

目の前において、「死」と向き合わなければならないこともあります。

私たちは専門家として予知することはあっても、
思いもよらず、それは突然やって来ることも多いのです。

私も今まで、
目の前で息を引き取った方と立ち会った、
あるいはその現場に居合わせたことが4度ほどあります。

人が亡くなったと聞かされる事と、
人が目の前で亡くなってゆく事とは、
その人に与える衝撃や悲しみ、リアリティーは全く違ってきます。


亡くなった利用者の方によっては、
身寄りが全くない方もいます。

ある身寄りのない、連絡先が全く分からない方で、
亡くなった後、遺体の引き取り手が全くなく、
一週間ほど施設に残されたままといった事もありました。
棺に入ったままドライアイスに包まれ、
無言で、逝き場所が見つかるのを待ち続けていました。


死と対峙する度に・・・

「この方は、本当に幸せだったのかな」
「この方の人生にはどんな喜びがあって、どんな悲しみがあったんだろう」
「私たちはこの方に何ができて、何ができなかったんだろう」


そんな自問自答をしてしまうのです。



ある男性利用者の方がいました。

認知症状が進んでおり、
妻の事もほとんど認識できず、
寝たり起きたりの生活をしていました。

目を離すと、転倒の危険等があり、
つきっきりの介護が必要でした。

その男性利用者の方の奥様は、良く面会に来られ、
自分が妻である事も分からない夫のために、
身辺に良くつき添っていました。

興奮するとその奥様にも介護員にも、暴力行為があったりします。

それでも、本当に献身的に面会に来られ、
笑顔を絶やさない奥様でした。


ある日の夕方、私が隣室で、ある高齢者と関わっている時、
隣でその男性利用者と奥様が会話をされていました。

ベットに休むと転倒の危険があったため、
床に畳を敷き、布団を敷いた状態で
横になって男性利用者は休んでいました。

その時、奥様のこの言葉だけがはっきり聞こえてきました。


「 生まれ変わったら、
   また恋をして、また一緒になろうね。
               お父さん 」



その声は、少し震えて聞こえてきました。


その後・・・

その男性利用者の方は、3日後に心筋梗塞で突然亡くなりました。

私もあまりの突然の死に、
当時新人職員だった私は言葉を失ってしまいました。

奥様はその後、私たちに多くの感謝の言葉を述べられ、
再び笑顔になって、施設を後にしました。


後で振り返ってみると、

奥様はすでに迫りくる夫の死を受け入れ、
残された時間や、夫の死後、自分の死後の進む方向や、
愛し合った二人の絆を、確かめ、噛みしめていた事に気付きました。

そこにあるのは、悲しみや後悔のような念ではなく、
二人で共にしてきた二度と帰ってくることのない、
貴重で目に見えない、決して切れることのない糸があったに違いありません。



ですが、

こういった言葉を、本心から素直な気持ちでなかなか言えるものではありません。

また、こういった心の境地に至る夫婦がどれだけいるのかは分かりません。


それでも、

人が生きてきた時間は、常に「生と死」に付き添い、
決してたった一人では、経過することができないものなのです。


そんなことを考えていると、
私が出逢った多くの方々、私を作り上げてくれた多くの方々に、
感謝の気持ちが溢れてきます。

本当に、ありがとう。




★ブログランキングに参加しています★

励みになります! 
クリックしていただければ幸いです。↓


    >>人気ブログランキングへ<<
    >>にほんブログ村ランキングへ<<






【 トップページへ戻ります 】

カテゴリ: 施設利用者の奥様

テーマ: 認知症の介護 - ジャンル: 福祉・ボランティア

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。