消費者金融と銀行
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  ●●● ~忘れられない名言~ 感動映像 ●●●

あなたさえも知らない、本当の自分と未来に出会うために、
時に雨に打たれながら、時に星空を見上げながら、歩いていこう・・・
そんなあなたを見て、必ずその後について来る人がいるから。
その後に、誰も知らなかった新しい道ができているから。



■ これまでの「名言感動映像」はこちらです。
■ 管理人の仙台での「東日本大震災」の体験記はこちらです。
■ ブログ『はっぱの笑子らいふ(はっぱのえこらいふ)』さんの
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生きている不思議 死んでいく不思議 


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「 生きている不思議 死んでいく不思議
  花も風も街も みんなおなじ

  呼んでいる 胸のどこか奥で
  いつも何度でも 夢を描こう

  かなしみの数を 言い尽すより
  同じくちびるで そっとうたおう

  閉じていく想い出の そのなかにいつも
  忘れたくない ささやきを聞く
  こなごなに砕かれた 鏡の上にも
  新しい景色が 映される

  はじまりの朝の 静かな窓
  ゼロになるからだ みたされてゆけ

  海の彼方には もう探さない
  輝くものは いつもここに
  わたしのなかに 見つけられたから  」


          映画『千と千尋の神隠し』
          主題歌『いつも何度でも』 歌:木村弓 より





前回で、この東日本大震災に関する記事は
最後にしようと思っていたのですが、
私の職場の後輩の事を、最後にお話ししておきたいと思います。

私が体験した、
東日本大震災の記事を最初からお読みになりたい方は、
こちらからどうぞ↓

『東日本大震災が起こったあの日』 


今回お話しする女性は、
以前お話した女性職員とは違った人物です。


私の職場で働いている、就職して2年目の若い女性職員がいます。

彼女は私と同じ部署で働いていて、
持ち前の明るさと無邪気で一途な心を持った、
将来有望な若手職員です。

宮城県の南三陸町、志津川という所の出身で、

仙台の大学の福祉科を卒業し、
私の勤め先である福祉施設に去年入社しました。

しかし、

平成23年、3月11日14時46分。東日本を巨大地震が襲いました。

彼女の出身地である南三陸町はリアス式海岸の、とある港町で、
今回、地震と津波の甚大な被害を受けたところです。


私の職場である福祉施設は震災直後、
ライフラインが遮断され、
外部からの援助も全くない状態で、危機的な状況に追い込まれました。

全ての職員は、それぞれの家庭で問題を抱えながら、
できる限りの精神力と知恵を振り絞って、
難局を無事に乗り越えられました。

しかし、

後輩の彼女の御両親は震災当時、その南三陸町にいました。

一週間経っても、連絡が付きません。

携帯電話、固定電話が通じるようになっても、
連絡が付かないのです。

テレビや新聞、ラジオでは、
南三陸町の壊滅的な被害を次々と報道していきます。

死者の数も毎日増えていきました。

それでも、彼女はご両親と連絡が取れません。

それでも彼女は、目の前の高齢者のために、
その苦難な生活を支える為に、休むことなく出勤しました。

ある日、職場にいる彼女の両目が赤く充血していることに気付きました。

ほとんど眠れないまま、
あるいは、泣き明かして出勤してきたのかもしれません。

それでも彼女は昼も夜も働き続けました。

私は、そんな彼女が不憫で健気でどうしようもありませんでした。


そんなある日、

彼女の携帯電話に見たこともない番号の着信がかかってきていました。

彼女は、日常的に、怪しく知らない番号にはかけ直しません。

でも・・・・

その時、もしかしたら・・・と思ったそうです。


そうです。

避難所からの固定電話の着信だったのです。

彼女の母親からの避難所からの連絡だったのです!


彼女は、そのことを私に知らせてくれました。
満面の笑みを添えて。

彼女のご両親は、震災直後、
すぐに高台にある地元の高校に速やかに避難していました。

南三陸町志津川の避難所である高校は非常に高台にあり、
その難を逃れることができました。

■参考記事→ 震災直後の志津川高校「校庭のSOSが見える」


高齢者や体の不自由な方で援助がなかった方、
津波のことを過小評価し避難しなかった方、
避難はしたものの、
引き返して大切なものを家に取りに行ってしまった方・・・

そういった人々は、津波に飲まれ、亡くなってしまったそうです。

それは、あまりに過酷なギリギリの運命の分かれ道だったそうです。


その後、電話の通信状態が非常に悪く、
ろくに話もできない状態が続いたそうですが、
彼女の母だけでなく、父も無事だったことがわかりました。


その後、彼女と二人で施設の夜勤をした時・・・、

なんと、私の目の前で、
朝5時前に彼女の携帯に電話がかかってきました。
彼女の母親からでした。

「あ・・・、この番号・・・・・え~! お母さんお母さん-!」

と彼女は飛び上がって喜んでいました。

彼女が御両親ときちんと会話できたのは、この時が初めてでした。

南三陸町は集団避難を決め、
彼女のご両親は、仮設住宅ではなく、
娘である彼女のいる一人暮らし用のアパートに引っ越してくることに、
とりあえず決めたそうです。

私も良かった・・・と、とてもうれしくなりました。



ですが、

一方で、多くの亡くなった方がいる。

二度と帰ってこない懐かしい街がある。


生きているとは、死んでいくとは・・・

あまりに突然訪れた、多くの死との直面。
同時に、生き残って再開を喜ぶ人々。

私は混乱していました。


こんなに簡単に、人が次々死んでゆく。

ほんの紙一重で、人は生き残ってゆく。




不思議にその時・・・、

大好きなこの曲が自然と心に浮かび上がって来ました。





■歌詞全文はこちらです→ 木村弓『いつも何度でも』の歌詞


歌詞を口ずさんで、ハッとしました・・・


その歌詞が・・・、

この震災を事前に知っていて作られているような歌詞に
聞こえてしょうがないのです。


多くの死者を出してしまった、大自然のある出来事。

今も続いている天災と人災よる震災被害。



小さくても、
些細なことでも、
できる力を尽くし、

みんな、手を取り合っていきましょう。

巡り巡って、

亡くなった方にも、
生きている方にも、
これから生まれ来るものにも、

暖かい日の当たる、幸がありますように・・・。






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テーマ: 東北地方太平洋沖地震~The 2011 off the Pacific coa~ - ジャンル: その他

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