消費者金融と銀行
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敵に向かって逃げろ! 


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「 老武士のため、
   伊吹山の大山を越え難し。
    たとえ討たれるといえども、
     敵に向かって死すべしと思う 」


                     島津 義弘

■島津義弘:薩摩国の戦国大名。九州一の猛将。島津氏、第17代目当主。
      兄義久とともに各地を転戦、特に武功において島津氏勢力拡大に
      大きく貢献した。関ヶ原の戦いでは、前代未聞の撤退戦を実行。
      諸大名に畏敬された。




慶長5年(1600年)、徳川家康が上杉景勝を討つために軍を起こします。
関ヶ原の戦いの発端です。


島津義弘は徳川家康の要請を受け、京都の伏見城に孤軍籠城している、
東軍(徳川軍)、鳥居元忠の援軍として、1000名の軍勢で駆けつけます。

しかし、何の連絡トラブルか、
連絡を受けていないとして、入城を拒否されてしまいます。

その間の出来事は、諸説あれ、
島津義弘軍は、西軍に味方することになります。


関ヶ原に布陣すると、
数時間後、戦況は西軍の裏切りが発端となり、劣勢へと追い込まれます。

そのうち、西軍は総崩れの様相を呈してきます。

自軍の周りにいた西軍各将が崩れていくと、
島津隊は退路を遮断され、敵中に孤立することになってしまいます。

この時、島津義弘は甥の島津豊久の進言もあって、
その進退を決意することになります。


「 老武士のため、 伊吹山の大山を越え難し。
  たとえ討たれるといえども、 敵に向かって死すべしと思う 」



島津義弘は、前代未聞の撤退戦に挑みます。

敵に背を向けて撤退するのではなく、
前線だけで数万、総勢二十万を超える軍勢の中央を突破し、
撤退する作戦に出るのです!


わずか1000名の軍勢は徳川軍の中央を果敢な勢いで進み始めます。
この時の陣形、戦法は「捨てがまり」と言われ、
自軍の犠牲を前提にした、壮絶な陣形を取ります。

東軍は島津義弘の信じられない行動に一瞬あっけにとられます。

しかし、すぐに前衛いた勇猛で知られた福島正則隊と衝突します。

しかし、

その死を覚悟しながらも撤退する意思を持った、あまりにすさまじい戦いぶりに、
戦う愚かさをを悟った福島正則は、家臣に戦うことを禁じたと言われています。


その後、島津義弘本人は無事に薩摩本国に帰還します。
1000人いた島津軍は80人ほどになってしまっていたと伝えられています。

その果敢な戦いぶりは、すぐに全国に轟きます。


関ヶ原の戦いの戦後処理において、
島津家は、領地を安堵されました。

色々と理由はありますが、
島津義弘や軍備が健在の、島津家を敵に回すことを嫌った、
徳川家康の最終的な判断のようです。

その判断の結果、徳川家は250年後に、
島津家(薩摩藩)にその存在を脅かされることになります。



なにか、目前に大きな窮地が訪れた時、
大きな判断を迫られた時、

目前の課題、難題を回避することも英断と言えるでしょう。

ですが、

敵に背を向けて逃げることが、
最善と言えるとは限らないこともあります。

あなたが逃げていく方角には、
あなたが後悔し、誰かが悲しむことはありませんか?

あなたが逃げていく方角には、
本当に未来がありますか?

逃げていく方向には、
もっと愛することができる何かがありますか?


人生にはそんな判断を迫られる時があります。
それは次の人生を生みだしていく、大きな分かれ道でもあります。

どうせ逃げるなら、勇気を持って、
未来と誇りのある方向へ決死の覚悟で逃げましょう。
敵のど真ん中を逃げてやりましょう。


最も困難で、誰も進まない方向に、
最も幸運な未開の道が続くこともあるでしょう。


目前に迫る難題、窮地にあえて立ち向かうことで、
撤退を成功させ、島津家を守った島津義弘。

その行動は、250年の時を超えて、薩摩藩の歴史・・・
また結果として日本の歴史に影響を与えたと言っても過言ではないでしょう。

ちょっと言いすぎでしょうか^^)
 



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カテゴリ: 島津義弘

テーマ: 歴史上の人物 - ジャンル: 学問・文化・芸術

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