消費者金融と銀行
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【 最新記事と感動映像 】


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  ●●● ~忘れられない名言~ 感動映像 ●●●

あなたさえも知らない、本当の自分と未来に出会うために、
時に雨に打たれながら、時に星空を見上げながら、歩いていこう・・・
そんなあなたを見て、必ずその後について来る人がいるから。
その後に、誰も知らなかった新しい道ができているから。



■ これまでの「名言感動映像」はこちらです。
■ 管理人の仙台での「東日本大震災」の体験記はこちらです。
■ ブログ『はっぱの笑子らいふ(はっぱのえこらいふ)』さんの
  震災や今後の未来に対する取り組みです。クリック!↓ 心ひとつに キャンドルナイト

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米のメシに生かされている 


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「 大地に向かって
    立ち小便をするな、
        ツバを吐くな 」


            アニマル浜口 『俺が気合を入れてやる』より

■アニマル浜口:元プロレスラー。ボディービル指導者。
        皆さんご存じの個性的な元プロレスラー。ボディービル指導者。
        闘将のニックネームで知られている。
        「気合いだ! 気合いだ! 気合いだ!」の名言も有名。
        長女の浜口京子はレスリングのオリンピック銅メダリスト。
        世界選手権優勝者。


アニマル浜口氏は著書の中で、こう続けています。

「おまえたち、お天道様に感謝するなんて
年寄りのすることだとバカにしていないか」

彼はプロレス引退後、ボディービルダーとして指導者として活躍していきますが、
ボディービルの大会に出場するために、
短期間で減量する必要があり、壮絶な減量に挑みます。
この時、100kg以上あった体重を70kgまで落としています。

彼はその時のある気持ちをこう記しています。

「体重がある程度落ちて、もう多少は食べても大丈夫だというときがきた。俺は茶碗に半分くらいよそったメシを、一口でほおばった。涙が出るほどうまかった。米のメシというのはこんなにうまいものだったのか、と感じると同時に、なにかむしょうに感謝の心が起こったのだ。何のことはない、俺は米のメシに生かされていたんだと気づいた。そして、空気がなかったら生きていけないじゃないか。太陽エネルギーがあるから生きていけるんだ、というように考えられるようになった。
 感謝するという気持ちが生まれてくると、これまで自分が生きてきたなかで、色々な人に世話になり、たくさんの人のおかげでこれまでやってこれたということもわかるようになった。」

この後、彼はシニア部門で優勝を果たします。


人は失って初めて、そのものの大切さに気付く、とよく言われるように、

普段私たちは何に支えられているか、
何のお陰で生かされているのかを、
深く考えることも、感じることもなく過ごしていることが多々あります。

太陽、大地、空気、水・・・

家族、友人、健康、お金・・・

あなたが朝、目を覚ました時に必ずあるその当たり前のものは、
本当に当たり前のものでしょうか?


明日も明後日もその当たり前のものは必ずありますか?

10年後、20年後、その当たり前の物は
朝、目を覚ました時にあなたの傍にあるでしょうか?

失ってからその大切さに気付くことは、
人生にとって大きな意味があることですが、

日ごろから心の中に感謝のリストを持って意識して生きていくことで、
今この瞬間、自分が生きていることの奇跡、大切さを感じることができます。

不思議なことに、
人生は、感謝を忘れている人に何かの出来事を通じて警告を出します。

暴飲暴食をする人には、「病気」を通じて、
健康に対する感謝を忘れていることを本人に知らせようとします。

人の心を踏みにじったり、傷つけたりする人には、
「人間関係のトラブル」や「別れ」などを通じて、
恋人、妻、親、友人などに対する感謝を忘れていることを
本人に知らせようとします。

「感謝すること」

もっとも大切なことではありますが、
もっとも忘れてしまいやすいものでもありますね。

感謝に関しては、ここでは書ききれないほどの思いや体験があります。
また別の機会にお話ししたいと思います(^^)



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カテゴリ: アニマル浜口

テーマ: 心に響く言葉・メッセージ - ジャンル: 心と身体

あなたが亡くなる時、傍に誰がいますか? 


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「 結局人生の途中で何があっても、
  人が幸せだったのかどうかなんて、
  死ぬまで分からない。
  いざ死ぬという時にその人の傍に誰がいるか、
  その時初めてわかるんじゃないかな。
  その人が幸せだったかどうか        」


                   職場の上司


もう昔の話になります。

私は妻と離婚し、娘とも会うことができず、精神的に追いつめられて、
職場でミスを繰り返した後、配属が変わりました。

何事にも意欲がわかず、何を目標にして生きていけば分からない。

そんな時に新しい配属先の上司と二人っきりになる時があり、
上司が私に言ってくれた言葉です。

彼は実は離婚経験がありました。
ある意味、私の境遇や立場を理解、同情してくれての言葉かもしれません。

しかし、彼の境遇も過酷でした。

彼の場合・・・

離婚の話が進んでいくと、
ひとりの1歳の息子がいたのですが、
妻は息子との面会は拒否し、
離婚が成立した後も会わせてもくれません。
彼が暴力をふるったり、
浮気をしていたのでもありません。

しかも、
その別れた妻は、あろうことか、
自分の息子に対して、

「お父さんはもう死んでしまったんだよ」

と語っているというのです。
息子にそう言い聞かせているというのです。

私は黙っていることができず、彼に言いました。

「どうして、離婚調停を起こして、面接交渉権を認めさせないのですか?」

と、

彼はこう言いました。

「どうせ、面接の機会を認めさせても、息子が風邪をひいた、
 都合が悪い、息子が会いたくないと言っている、
 そんな理由をつけられて、妻は会わせようとしない。
 父が最初からいないと思ってしまえば、
 それはそれで仕方のないことなんだと受け入れていける・・・」

私は、未だに彼の考えに全て賛同はできませんが、
彼の全ての事情を知っているわけでもありませんでした。

その時は、彼の壮絶な覚悟と苦しみ、
また私のような人の気持ちを理解してくれる
大きな度量を感じたのです。

彼はその後、幼いお子さんのいる女性と再婚し、
二人の間には娘さんも生まれました。
今はその新しい家庭の中で、幸せそうに暮らしています。


彼が私に語ってくれたこの言葉は、

人生の出来事が、あなたにとってつらいものであっても、
幸せなことであっても、その経験、記憶、思いは
人生を歩んでいった先にしか見えない、
生きていた証、あなただけの幸せの産みの親であると、
静かに説いてくれたのです。



もし、

「こんなことが起こってしまった・・・私の人生は終わりだ」

と絶望する人がいれば、それを受け入れ、消化することができれば
後にこう思うことでしょう。

「あんなことが起こったから、今の自分がある、今の自分を産んでくれた」

そう確信しています。



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カテゴリ: 職場の上司

テーマ: 生きること - ジャンル: 心と身体

心に勇がある時は、悔やむことがない 


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「 心に気にかかる物のない時は、
  心は広く体も安らかである。
  心にわがままのない時は、
  相手への愛と敬いの心を失わない。
  心に欲のない時は、道理ある正しい道を進む。
  心に私がない時は、疑うことしない。
  心に驕りがない時は、人を尊ぶ。
  心に誤りがない時は、人を畏れない。
  心に邪見がない時は、人を育てる。
  心に貪りがない時は、人に諂うことがない。
  心に怒りのない時は、言葉は和やかである。
  心に堪忍がある時は、物事を調えられる。
  心に曇りがない時は、心は静かである。
  心に勇がある時は、悔やむことがない。
  心が賤しくない時は、無理な願いをしない。
  心に親への孝行心がある時は、主への忠節も厚い。
  心に自慢のない時は、人の善を知り。
  心に迷いのない時は、人を咎めない。      」


  ※十六カ条からなる家訓

                       上杉謙信公家訓

■上杉謙信:越後守護代を務めた長尾家の出身。病弱な兄、晴景に代わり
      長尾氏の家督を継ぐ。その後越後を統一。
      関東、信濃、越中などに様々な要請や大義名分の下出陣。
      優れた軍事的才能、統率力、無敗ともいわれるその戦歴から、
      戦国諸大名から「軍神」「越後の龍」と恐れられた。



上杉謙信(長尾景虎)は戦国時代まれにみる人物です。

このような人物が戦国大名として存在し、
他国に滅ぼされることなく、かつ他国から恐れられ、、
ましてや領民から、そして敵国からも信頼された武将は、
おそらく存在しないでしょう。

その軍事的な才能、部隊を指揮する才覚、力量。

それにもまして、戦国時代において奇跡ともいえるのが、
戦に臨む心の置きどころ、軍事的行動を起こすための理由、大義名分にありました。

仏教に深く信心があり、毘沙門天を師として、
私利私欲による戦を起こさなかったことでもよく知られています

彼の戦は、他国の救援要請か領内の反乱分子の制圧、
足利幕府(彼にとっての武士の本領)の命によってしか、
軍事行動を起こしませんでした。

そんな彼のこの家訓は、現代に生きる私たちにも
とても身にしみる名言の塊です。

大義を成し遂げることができる人物は、
その心の方向を自ら戒めて、
自分に言い聞かせて、決して忘れないように努力していることが分かります。


上杉謙信は、あの武田信玄と数々の戦を繰り広げたことでも知られていますが、
武田信玄は自分の死を覚悟した時に、息子の武田勝頼に、

「もし困ったことがあったら、上杉謙信に頼るがいい」

と遺言しています。

また、戦が起これば、領民に対する略奪、暴行が横行したこの時代。
謙信はこれを厳しく取り締まり、
規律に違反した部下を容赦なく罰したといわれています。

そのため、上杉軍は非常に統率された、整然とした部隊と伝記されています。
敵国でありながら、領民は上杉軍を歓迎したとの記録まで残っています。


他国の武将からも領民からからも信頼された上杉謙信。

彼の言葉は現代に生きる私たちにも
心のあり方、心の言葉の重さを伝えてくれます。



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カテゴリ: 上杉謙信

テーマ: 心に響く言葉・メッセージ - ジャンル: 心と身体

自ら光を放つ 


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「 日の光を籍(か)りて照る
   大いなる月たらんよりは、
    自ら光を放つ小さき燈火(ともしび)たれ 」


                     森鴎外

■森鴎外:明治・大正期の小説家、評論家。陸軍軍医。医学博士。文学博士。
     代表作として、『舞姫』『高瀬舟』などがある。
     夏目漱石と並ぶ文豪として名高い。本名、森林太郎。



良くテレビや雑誌などで、
脱サラしてペンションを経営している話や、
思い切って起業した若者の話や、
新しい発想で事業を展開している人の話や、
定年近くなって、夢があきらめきれずに転職した話などが
紹介されていることがあります。

私はそういった映像や記事を読むたびに、
素晴らしいと感嘆するとともに、
とてもうらやましく思うことがあります。

彼らはまさしく
「自ら光を放つ小さき燈火(ともしび)たれ」を
人生の中で実行した人々と言えるでしょう。

紹介された映像や記事を読むと、
とてもセンセーショナルに華やかに成功を謳っていますが、
その陰には大変な苦労と忍耐が必要となったことでしょう。

しかし、逆に、

ほとんどの人間は社会の組織の中で生きています。
その「組織」は石器時代から存在し、
組織の力は人類の歴史とともに良くも悪くも大きく強固なものとなり、
現代においては、友人関係が作る仲良しグループや家族から、
国家を凌駕する組織まで、数えきれないものが存在しています。

組織に与することで生きる糧や安心、防衛を手にしている
現代人にとって、組織に支配された世の中の仕組みから逃れることは
非常に難しいのが現状です。

では、「自ら光を放つ」にはどうすればいいのか・・・

難しく考えるから、
難しい選択肢が増えたり、
逆に選択肢が無くなったりすることが多くあります。

自然界を見渡してみましょう。

ペンギンは自然界という大きな食物連鎖の組織の中で
飛ぶことをあきらめました。
しかし、他の鳥には真似ができない遊泳能力を手に入れました。

犬は、生きる為に夜間行動することを選びました。
そのため、色覚を失いましたが、
暗闇の条件下でもいかんなく能力を発揮する
類いまれな嗅覚を手に入れました。

このような例は数えきれませんが、
彼らは生き残るために、
自然界という大きな組織の中で、
「自ら光を放つ」ことを選ぶことに成功したといえるでしょう。

自分が自分らしく輝くため、
生き残るため、
やり遂げたいことがあるため、
叶えたい夢があるため、

組織の中にいても、
個人として活躍するとしても、

自分の自分らしい特化した才能や天分は、
全ての人が当然のように持ち合わせていて、
常にその人を「自ら光を放つ小さき燈火」たらしめるように、
気付かれるのを静かに待っているように思うのです。


あなたが自ら光り輝くのに、
環境や組織や境遇は足かせになるものなどではなく、
その中に存在することでむしろ強い光を放つこともあるのです。


私も、もっとこの言葉の深い意味を感じて、
自分に照らし合わせて考えていきたいと思います。




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カテゴリ: 森鴎外

テーマ: 自分らしく - ジャンル: 心と身体

この世に客として来た・・・ 


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「 仁に過ぎれば弱くなる。
  義に過ぎれば固くなる。
  礼に過ぎれば諂いとなる。
  智に過ぎれば嘘をつく。
  信に過ぎれば損をする。

  気ながく心穏やかにして、
  この世に客に来たと思えば何の苦もなし。

  朝夕の食事は、うまからずとも誉めて食うべし。
  元来、客の身なれば好き嫌いは申されまい。
   
  今日行くをおくり、子孫兄弟に良く挨拶して、
  娑婆の御暇申すがよし。           」

                    
                     伊達 政宗 (伊達政宗公遺訓)


■伊達政宗:奥州の戦国大名。陸奥仙台藩の初代藩主。奥州の覇者。
      父輝宗から家督を継ぐと、またたく間に奥州に威を敷く。
      豊臣秀吉、徳川家康の政権下を、知略と戦略、外交力で生き抜いた。
      その隻眼の容姿と実力から「独眼竜」の名で諸大名に畏敬された。



伊達政宗が遺訓として遺している言葉です。

「仁」「義」「礼」「智」「信」とは儒教で恒常不変の真理の意味を表し、
当時の武士の心構えとして、大切なものとされていました。

しかし、

政宗はその大切とされている考え方だけに、
強くとらわれて生きていくことは、
生き方の自由を奪い、窮屈になってしまうと語っています。

そこには、もっと自由に素直に、全てを見渡して、
自分に大切な物は何か、気付かなくてはいけない。
そういった、戦国を生き抜いた英傑の
ありのままの気持ちが語られているようにも思うのです。


私なりに伊達政宗公遺訓を、わかりやすく現代語に訳すと、
こんな感じになります。

『 人を大切に思うことは大切だが、行き過ぎると
  他人のためにも、自分のためにもならない。

  正義やすじを通すことは大切だが、そればかりに縛られると、
  物事に柔軟に対応できず、融通が利かなくなる。

  礼を尽くすことは大事だが、礼にばかり気を使うこと、
  また行き過ぎた礼は相手に対して逆に失礼で厭味になる。

  頭でっかちになり、机上の知恵を信じていると、
  結果として嘘をついたり、策に溺れることになる。

  何でもかんでも、他人の言うことを信じ、
  それに振り回されていると、損をしていまうことがある。

  もっと気分を楽に持って、素直になって、穏やかにし、
  この世にお客さんとして来た気持ちになれば、
  何も苦しいこともない。
  人は生まれることで初めて、この世に生きているのであり、
  死ぬことでこの世とは別れて、再び旅立つからだ。
  つまり、この世にお客さんとして来たことになる。

  毎日食べる食事は、粗末であっても、おいしくなくても、
  感謝の気持ちを持って、ありがたくいただくべきである。
  この世にお客さんとして来ているのだから、
  そもそも文句など言えるはずがない。

  間もなく、私はこの世を離れていくが、
  子や孫や兄弟に「ありがとう。おまえたちも頑張れよ。」
  と声をかけて、旅立っていくのが幸せである。      』


かなり、はしょって意訳してしまっていますが、
この遺訓を語ったころは、彼の人物像、生き方、晩年の気持ちを推察すると、
とても落ち着いて、穏やかに過ごされたのではないかと思っています。

この遺訓の意味を、
「何事もほどほどにしなさいね・・・」
と解釈されている方もいるようですが、

私はむしろ、意味的には、

全てが大切であり、
一つのことに凝り固まって、信じすぎて自分を見失うな。
生きていくことを自由に穏やかに捉え、
生かされている、ということを忘れずに生きていくのだ。


という風に感じています。

偉大な戦国大名の含蓄のある言葉。

心にとどめておきたい言葉の一つです。




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カテゴリ: 伊達政宗

テーマ: 歴史上の人物 - ジャンル: 学問・文化・芸術

『心の制服』は脱ぐな 


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「 制服を脱いでも 『心の制服』は脱ぐな 」

                        警察学校の教え


東日本大震災において、多くの人命が失われましたが、
その一方で、的確な判断と勇気、行動で、
多くの人命が救われたことも忘れてはならないと思います。

特に津波が来ることを、冷静に判断し、行動した方々が、
紙一重で命が助かったりしていることは、
報道の中でも取り上げられています。

そんな多くのお話の中で、こんな記事がありました。
ご紹介させていただきます↓


東日本大震災の発生直後、福島県新地町のJR新地駅に停車中の電車が大津波にのみ込まれた。約40人の乗客と乗務員の命を救ったのは、偶然乗り合わせた2人の巡査。彼らの行動を後押ししたのは警察学校で学んだ「制服を脱いでも『心の制服』は脱ぐな」という教えだったという。

 相馬署地域課の斎藤圭巡査(26)と吉村邦仁巡査(23)。1年前に巡査拝命。震災当日は福島市の警察学校から相馬署に赴任中でスーツ姿だった。

 電車が揺れた。乗客は20~70代の約40人。吉村巡査は「肝が冷えるような揺れだった」。乗客の携帯電話のワンセグテレビ機能から大津波警報が流れていた。

 斎藤巡査は乗務員に「私たちは警察官です」と手帳を見せ、2人で乗客に「役場まで避難しましょう」と声をかけ続けた。

 「警察官として何をなすべきか」「誘導した後、もし津波が来なかったら…」

 多くの思いが心をよぎったが、余震で車両がゆがみ閉じ込められないようすべてのドアを手動で開け、約1キロ山側の高台にある町役場へ誘導した。吉村巡査は「『大丈夫。家族が来るから駅で待つ』というおばあさんを懸命に説得した」。

役場に着き背後を見ると「不気味な大波が車や建物をのみ込んでいく。正直怖かった」(斎藤巡査)。半信半疑だった乗客もすさまじい形相で悲鳴を上げた。

 現在、斎藤巡査は相馬港に近い尾浜地区で行方不明者の捜索を続けている。駐在所も流された。「普通に暮らしていた方が突然津波にのまれた。冷たい水の中にいたご遺体を家族に引き渡すたび、悲しみを抑えられない」と話す。

 新地駐在所で捜索を続ける吉村巡査は、建物も田畑も消えた一帯を見つめ「もう以前の光景は思い出せないが、『俺たちも頑張るからおまわりさんも頑張ってくれよ』という住民の声に元気をもらっている」。

 相馬署の生田目剛次長は「涙を流しながら訪れてくる乗客や礼状が相次いでいる。ベテランに劣らぬ判断で使命を果たした」と話す。2人の志望は、刑事という。(中川真)

                 「 2011.4.7 産経ニュース記事 より 」



「 制服を脱いでも『心の制服』は脱ぐな 」

もうお分かりの通り、

「制服」とは、

仕事のことに限らず、その人の人間社会、会社、家族などの
大小を問わない組織の中での存在意義、役割のことです。

人は様々な組織の中で生きています。
この世に何の組織にも組み込まれず生きている人は存在しません。
別の言い方をすれば、人は一人では生きていけません。

『心の制服』とは、

様々な複数の組織の中で生きていく上で、
あなた自身の人生や生きがいを支えてくれる
大切な組織における果たすべき使命、役割のことです。

その大切な組織は、
人によって様々です。

家族かもしれません。
夫婦かもしれません。
仕事かもしれません。

ですが、

人生や命運を左右する時、
決断を迫られる時、
窮地にあって心に問いかける時、

心の制服のボタンを締め直しましょう。

生きていく中で、
あなたの進む方向が、きっと見えてくる。
きっと陽の登る方向に進んでいける。

そして、

心の制服を着替える時もあるかもしれません。
心の制服を洗濯する時もあるでしょう。

ですが、あなたは裸で歩きだすことはできません。


心の制服をもう一度、羽織って歩き出しましょう。




P.S


お話は変わりますが・・・・・


昨晩、大変な余震がありました。
それだけで、大地震と言える大変な余震です。

私は、前日夜勤だったので、
みなさんのコメントなどを拝見することができず、
ちょうど、みなさんのコメントにお返事を書いているところでした。

また、職場である老人ホームに直行(^^;
停電がいたるところで起きており、
救急車、消防車、ヘリコプターが行き交う中、
またか・・・、と不安になってしまいました。


そんな、不安を吹き飛ばしてくれる、
珍しいヒーローをご紹介いたします。

しばらく、心から笑っていなかった私に、
パワーを送ってくれました。

このCMがお嫌いの方、すみません(^^;
どうしても、載せかったのです。
今回は、思いっきりわがままです。

いつか、削除するかもしれません。


皆さんご存じ、「公共広告機構AC」のCMから(?)・・・









自粛ムードも行きすぎると、後退するのみです。

日本の元気は、東北の元気です。

お祭りも、イベントもどんどん行って、
被災地に勇気と笑顔のパワーを送ってください。


未来に向かって、行くぞ! グレートありがとウサギ!




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カテゴリ: 警察学校の教え

テーマ: 東北地方太平洋沖地震~The 2011 off the Pacific coa~ - ジャンル: その他

心動かさなければ、人は動かじ 



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「 やってみて、
   言って聞かせて、させてみて、
    ほめてやらねば、人は動かじ 」


                山本五十六 (やまもと いそろく)


■山本五十六:大日本帝国海軍連合艦隊司令長官。
       海外で最も知られた提督の一人。
       太平洋戦争で真珠湾攻撃や
       ミッドウェー海戦での総指揮に当たった。
       教育者としても高く評価されており、
       彼の遺訓である「男の修行」は、
       自衛隊各教育隊の教育方針として、
       現在も受け継がれている。




春になると人が動きます。

学校でも、職場でも、様々な団体においても・・・
入学、就職、人事異動などがあり、
多くの出会いも別れもある季節です。

その組織の中において、
ある部署を任されたり、
責任のある重い立場に立ったり、
あるいは多くの方が、後輩を持つ身となり、
人との関わり、人間関係に悩まされていく時期でもあります。

「やってみて、言って聞かせて、させてみて、
 ほめてやらねば、人は動かじ」・・・。


山本五十六の有名な遺訓の一つです。


これは部下、後輩の教育に留まらず、
子供の教育や友人や家族と接する際にも
多くの学びを得る言葉です。

この一連の流れるような言葉は、
語句を一つ一つ分解して味わってみるのも面白い見方です。


「やってみて」

あなたの実行です。
あなが、やって見せる、そのことが必要です。

まさしく、あなたが実行しているかどうか。
そのことを、普段から実践しているかどうか・・・。

一般的に素晴らしいと言われることや、マニュアル、
先人の素晴らしい言葉を語ったとしても、
言っている(引用している)本人が全く逆の行動をしていたり、
見当違いの実践をしていたりしていたのでは、
説得力のかけらもありません(自分で書いていて耳が痛い^^;)。

その言葉を理解して、実行することが難しくても、
せめて、実行するための努力をしているかが重要であると思います。


「言って聞かせて」

言葉の通り、言い聞かせます。説明します。
あなたが、正しい良い教え、方法であると思える根拠、理由を
あなたらしく、あなたの言葉で、あなたが知っていることを語るのです。

相手に良く思われようとしたり、
知らないことを知っているかのように話したり、
自分はこれを知っているんだと鼻にかけてみたり、
大概そういった邪心が入り込むと、
相手にはその浅はかさが伝わるものです。

実は、相手にどう説明できたかよりも、
相手が聞く気を持っているかが重要な場合もあります。
そういった意味でも、あなたの言葉に誠実さがなければ、
聞いて理解する以前に、相手はあなたの心を見抜き、
聞く気をすら持ってくれないでしょう。


「させてみて」

実践あるのみです。

ドンドンやらせてみるのです。

時には、間違った事をしてしまうこともあるでしょう。
その都度、指摘していくことも良いでしょうが、
あえて、自分で間違いに気づかせるのも一つです。

時と場合によりますが。


「ほめてやらねば、人は動かじ」

褒めること、これはとてもとても大切なことに思います。

良く評価する・・・、とは少し意味が違います。

評価するとは、
組織などの中で、目標に対しての達成度を見るもので、
褒めることとは、ニュアンスが違ってきます。

その人の行ったこと、その人自身、その人の可能性、
それらを全て含めて、賞賛し讃えること。

それが、「褒める」事のように思います。

その人が行った行動の結果だけを賞賛するのではなく、
その人自身を賞賛してあげましょう。

そうすることによって、
その人は、自分の存在意義、可能性、役割を認識し、
前向きな精神状態で、物事に当たっていけるようになります。

お分かりの方もいるとは思うのですが・・・

そこからは、行動と結果、巡り会わせの好循環が起こっていきます。


時には、叱る、注意を促す、反省させることも必要ですが、

人間はどんなに前向きな人でも、
否定され続けると、心が落ち込んでいき、
内向的になっていってしまいがちです。
それによって行動が委縮してしまうこともあるでしょう。

ここは、とても難しいところではありますが・・・

忘れてはならないことは、

人は心の生き物である。

という点です。


そして、山本五十六も当然知っていたはずです。

人を動かすのは心、心を動かすのは、
伝えていく者の「心」だと。



見えないものの力は、人の行動を支配し、
その人の未来までも左右する力を持っていることを、
忘れてはいけないと、考えさせられます。




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カテゴリ: 山本五十六

テーマ: 歴史上の人物 - ジャンル: 学問・文化・芸術

30年間、生き抜いた言葉 


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「 過去は
  捨てることは
  できない。

  現在は
  止めることが
  できない。

  しかし、未来は
  決めることができる。 」


                    小野田寛郎


■小野田寛郎:1944年、兵士としてフィリピンのルバング島へ派遣。
       終戦を迎えてもその報が伝わらず、30年間ジャングルで生存。
       帰国後「小野田自然塾」を主催して、講演などを続けながら、
       子供たちにアウトドア生活の指導をしている。




この小野田寛朗氏も、太平洋戦争を通して、
壮絶で希少な体験をされています。

小野田氏の経歴から見ていただきたいと思います。

以下は引用文です。


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小野田少尉の場合は30年間、ずっと戦争を続けていました。

小野田氏は1922年3月19日和歌山県海南市生まれ。中国で商社マンをしていま
したが招集後、陸軍中野学校でゲリラ戦の訓練を受けたあと、1944年フィリ
ピンに派遣され、ルバング島で残置諜者となるよう命令を受けました。しか
し戦争が終わった後、彼らに任務終了の命令が届きませんでした。

当初のメンバーは4名。小野田と、島田伍長、小塚上等兵、赤津一等兵です。
このうち1949年、赤津一等兵が投降したことにより、このグループの存在が
明らかになりました。しかしなかなかその所在をつかむことはできませんで
した。

1952年、朝日新聞の辻豊記者が「戦争は終わりました。出てきてください」
と叫びながらジャングルの中を歩き回りますが、小野田らは米軍の謀略では
ないかと考え、出ていきませんでした。

1954年、地元の軍隊と武力衝突。この時、島田伍長が戦死します。

1959年には小野田氏のお兄さんが捜索に向かい、本人であることを知らせる
ため、旧制一高の寮歌を歌いましたが、彼らを信用させることはできません
でした。この捜索が芳しくなかったことから、政府は残りの二人も1954年の
戦闘で死亡したのではないかと推測。

しかし1972年、また地元民と衝突。戦闘が起きて、小塚上等兵が戦死します。
この時一人逃げた人がいたという証言から、残る小野田氏が生きている可能
性があるとして、再び捜索隊が組織されますが、見つけることはできません
でした。

この小野田氏を帰国に導いたのは、冒険家の鈴木紀夫氏です。

鈴木はルバング島のジャングルにテントを張っていて、この年の2月20日、
偶然小野田と遭遇。ここで一晩掛けて小野田と話し合い、彼に戦争が終わっ
たことを語り、一緒に日本に帰りましょうと説得しました。しかし小野田は
自分は命令を受けてここに残留しているから、その命令が解除されない限り
勝手に帰るわけにはいかないと言います。

そこで鈴木は、小野田の上官となんとか連絡を取ってみるから、後日、もう
一度会って欲しいと要請。小野田も同意して、3月10日、もう一度会うことに
なりました。そして、この日、約束通りの場所に現れたのです。

(横井にしても小野田にしても30年間ジャングルで暮らしていて暦はほと
んどずれていなかったそうです。昔の人というのは大したものです)

鈴木からの連絡で小野田の元上官・谷口義美少佐が急遽ルバングに赴きまし
た。そして、この日現れた小野田に、残留命令の解除を伝え、長年の任務遂
行の労をねぎらったのです。小野田は3月12日、鈴木らとともに帰国します。

帰国後政府はせめてもの慰労金として100万円を渡そうとしますが、誇り高き
小野田は拒否。どうしてもというので、彼はこれを靖国神社に寄付してしま
います。そして天皇や首相との会見を断り、真っ先に戦闘で亡くなった部下、
島田と小塚の墓参りに行きました。彼は義理を通す人でした。

そして1年後彼はブラジルにわたり、牧場経営を手がけます。そしてそれを
成功させ、大牧場主となってから再び日本に戻り、現在は「小野田自然塾」
を主催して、子供たちにアウトドア生活の指導をしています。

ごく普通の人として、大きな運命の歯車に翻弄され、流されてしまった横井
と違い、小野田は厳しい運命の濁流の中、自分の生き方を常に模索し、常に
困難と闘い続けています。ですから小野田にとってはジャングルの中での30
年というのも無意味な時間ではなかったのです。


                     『今日は何の日』様より引用。

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小野田氏は、その体験や死や生を考え続けた長い年月で
身を持って学び、感じたことを講演や「小野田自然塾」を通じて、
多くの人々に語っています。


とても大切なことを語られています↓





その小野田氏が語りかけてくる言葉は、
様々な人生に寄り添い、諭してくれます。



「 過去は
  捨てることは
  できない。  」


その人の体験した、辛かった事や悲しい事。
捨てたくても捨てられないのが、過去でもあります。
捨てられないのであれば、とことん人生の最後まで持っていきましょう。
この一見重そうな人生の荷物が、
とてもありがたく、役に立ってくれるときが必ず来るのです。


「 現在は
  止めることが
  できない。  」


振り返ることも、立ち止まることもあるでしょう。
ですが、時だけは無情にも正確に進んでいきます。
今できることを行おうとせずに、
過去のことを引きずるあまり、多くの時間を浪費したり、
これからなにが起こるか分からない未来を案じて、
進む事をためらっていてはいけません。
世の中は、進んでみて初めてわかることだらけです。


「 しかし、未来は
  決めることができる。」


結局、自分が思い描いた未来への思いや想像、
それを掴むための努力があって、
自分の未来は自分で作り出していくことができる。
そして、自分を生かしてくれている多くのありがたい存在に対して、
自分の持てる能力や才能で恩返しをしていく。
全てのものが全てを支えてゆく。


そんな風に、過去も未来も生き抜いていけたら、
どれだけ素晴らしいことでしょう。

一人残さず世界の人々の全てが、
そういった人生を歩んでいけたら、
どれだけ素晴らしいことでしょう。

想像することは、タダです。
勝手に想像して、そんな未来が来ることを願って、
お金をかけずに、ニヤニヤしている私です。





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カテゴリ: 小野田寛郎

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